● 第三段 ● もみじは、赤くない!
「もみじ」というのは、長い間、「もみじ」という名の植物だと思っていた。どうやらそれが違っていると気がついたのは、小学校の4年生のころだ。ある歌を歌っていて分かった。あの歌だ。
秋の夕日に照る山 もみじ 濃いも薄いも数ある中に……
習字の時間に「もみじ」と書いていたら、どうしてもこの歌を口ずさんでしまう。紅葉の時期に紅葉狩りに出かけたら、やっぱりこの歌が脳裏に浮かぶ。
この唱歌『もみじ』の中に、「カエデやツタは……」とある。何度も何度も歌っているうちに、おかしいと気がついた。どうもおかしい。
・「もみじ」というのは、赤ちゃんの手のようなあの葉のことではないのか?
・「もみじ」という植物は、存在するのか?
・「カエデ」「ツタ」って何? (その当時、知らなかった)
・もしかしたら、カエデやツタは、ともに「植物」なのでは?
・さらに、もしかしたら、カエデやツタの葉は、秋になると赤くなり、それが「もみじ」と呼ばれるのでは?
友人に聞くのも恥ずかしかったので、勝手に自分で納得することにした。「もみじ」というのは、「秋に赤くなった葉っぱ」のことなんだと――。それで間違いはないと思っていたし、恥をかくこともなかった。
この時代がかなり長く続いた。
ところが、だ。最近こんな歌を見つけた。
わが屋戸(やど)に黄変つ(もみつ)蝦手(かえるで)見る毎に
妹(いも)に懸けつつ恋ひぬ日は無し
これは、『万葉集』にある歌だ。奈良時代の歌人、大伴田村大嬢(おおとものたむらのおおいらつめ)の読んだもの。この歌では、「黄変つ」を「もみつ」と読んでいる。そう、葉っぱが黄色に変化しても「もみじ」なんだ。
聞くところによると、『万葉集』には黄葉を詠んだものは76首あるそうな。一方、紅葉を詠んだものは6首。つまり、この時代は、黄色の葉の方が好まれていたようなのだ。その時代時代で、好まれる色も異なるということだ。では、「もみじ」が「紅葉」になったのはいつごろなのか?
まあよい。イチョウも「もみじ」だってことは分かった。皆さん、イチョウ
も大切に。
■ もみじ ■
秋に植物の葉が紅変、または黄変すること。または、その葉。葉中のクロロフ
ィルが分解し、共存していたカロチノイドが目立つのが黄葉で、紅色のアント
シアンが生成するのが紅葉である。(講談社『日本語大辞典』)
【メモ】
◆カエデを漢字で表すと、「楓」、「槭」。
◆しかし、「楓」は、どうやら当て字のようだ。中国大陸に自生するマンサク科の「フウ」という植物のことを、この字で表すらしい。日本にはフウは自生せず、フウの仲間のモミジバフウが、掌形の葉をつけることから、カエデとの混同が起こったのだろう。
◆カエデが一般に親しまれるようになったのは、江戸時代に入ってから。ブ−ムの火付け人は、江戸の染井の植木屋、伊兵衛政武(まさたけ)。では、「もみじ」が「紅葉」になったのは、このころなのかな?
◆カエデの木は、堅くて丈夫なことから、ボウリングのピンやレーンの大部分に使われている。
◆ホットケーキに添えるメープルシロップは、北米産のサトウカエデの木の樹液から作る。
◆カナダの国旗に描かれている葉っぱが、カエデ。
◆ツタは、ブドウ科の植物。
◆ローズマリー、ラベンダー、ミントなどの薬用・香料植物をまとめて「ハーブ」というが、これは、ラテン語で「緑のツタ」という意味がある。
◆青森県の中部、八甲田山の南東の麓に、蔦温泉がある。明治の文人、大町桂月の墓がここにある。
■ 蔦屋重三郎 ■
1750〜97。江戸中期の出版店、蔦屋の主人。山東京伝、大田南畝(蜀山人)らの黄表紙、狂歌本などを出版する。また、喜多川歌麿、東洲斎写楽らと交わり、彼らの浮世絵を売り出した。
◆昔、石鹸の代わりに使っていた紅葉袋の中身は、糠。
◆花札で、紅葉と一緒に描かれているのは鹿。これは、10月の札。鹿の肉のことを紅葉というのは、花札に由来するのだろう。
◆紅葉、牡丹、菊が、青丹。ちなみに、赤短は、松、梅、桜。
◆尾崎紅葉といえば、『金色夜叉』。貫一の苗字は間(はざま)、お宮の苗字は鴫沢(しぎさわ)。ただしこの話は、未完。彼の弟子の小栗風葉(おぐりふうよう)が、あとを継いで完成させている。
◆尾崎紅葉が、山田美妙、泉鏡花らと結成した、日本最初の文学結社は、硯友社。その機関紙は、『我楽多文庫』。
◆桜前線と紅葉前線とは、移動する方向が逆。桜前線は、南から北へ。紅葉前線は北から南へ。
◆顔が紅潮することを、「顔に紅葉を散らす」という。
◆「もみじ」を漢字一文字で書くと、「椛」。「木の花」か、なるほど。
◆「イチョウも『もみじ』だ!」
と大声で言うのには、勇気が必要だ。
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