--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1252 (2017.12.08)

Q. やまおさんからの疑問

「踏んだり蹴ったり」という言葉があります。
 何もかもがうまくいかず、悪いことが続き、重ね重ねひどい目にあうことをいいます。
 これは説明するまでもなく
「踏まれたり蹴られたり」というべきです。どうしてこんなひどい間違いをすることになったのでしょうか?

「踏んだり蹴ったりの目にあう」といいますから、ひどい目にあっている立場からの表現ですよね。なぜ、受け身の表現にならないのか?


A. Hoshiyanさんから

「踏んだり蹴ったり」という慣用句は、かなり古くから使われていたようですが、その語源は判然としません。
 戦国時代、南蛮渡来のものが好きだった織田信長の家臣が当時、珍しかった紅茶の茶葉の塊を誤って踏んだり蹴ったりしてしまったため、烈火の如く怒った信長に切腹を命じられるという事件があった。このとき、この家臣は「私も紅茶を楽しみにしていたのに踏んだり蹴ったりで切腹とは散々だ」と時世の句を残し、ここから悪いことが重なることを「踏んだり蹴ったり」というようになったという説はネット上だけにあり、出典は不明です。
 そもそも信長が本能寺で憤死したのが1582年6月21日(天正10年6月2日)ですが、イギリスでお茶が薬と売られたのは1650年代のなかば、お茶を商品として飲ませたのは、イギリスの貴族や文化人たちの社交場となっていたコーヒーハウスで、17世紀の中頃のことでした。紅茶の製法は、その後に確立されていますから信長の家臣が紅茶の茶葉の塊を「踏んだり蹴ったり」するには時代考証に問題があります。
 また、紅茶の茶葉ではなく、茶器との話もあるようです。しかし、誤って茶器を踏むこともあるでしょうし、誤って茶器を蹴ることもあるでしょうが、誤って茶器を踏んだ後に蹴るなどということはあり得ないと思われます。
 さて、日本で最大規模の国語辞典である「日本国語大辞典」を引いてみると、「踏んだり蹴ったり」は主な解釈として、“ひどい目に合わせた上にもひどい目に合わせること”や、“重ね重ねつらい目に合わせることの例え”とあります。つまり、これは加害者の側からの言い方になっています。
 さらに次の解釈として、“取り引き相場で売買ともに思惑がはずれて損をすること”とあり、これまた被害者としての言い方ではありません。
 また、1917年(大正6)に俳人である小峰大羽が著わした「東京語辞典」でも「踏んだり蹴ったり」を“非道に非道を重ねること”と定義しており、やはり加害者側からの言い方になっています。
 ところが、ややこしいことにこの「東京語辞典」の「踏んだり蹴ったり」の例文は「……散々の献に遇ふ」を用いていています。これは被害者側からの言い方となり、定義が加害者側からでありながら、例文は被害者側です。
 さらに1976年(昭和51)に発刊された「暮らしの中の日本語」のなかで、国文学者の池田弥三郎は「気になることば」と題し、いくつかの言葉を選んだなかに「踏んだり蹴ったり」などとともに「踏んだり蹴られたり」を挙げています。これは言葉の前の半分が加害者で、後の半分を被害者側の言い方をしていることになります。
 ここで私は、ひとつの結論を出しました。「踏んだり蹴ったり」は本来、加害者側が使う正しいのであり、時代の変遷とともに被害者側も使う誤用になったのではないかということです。
 これで「一件落着、めでたし、めでたし」というとこにしたかったのですが、1766年(明和2)から1840年(天保11)の間に刊行された江戸時代の川柳や風狂句を集めた「誹風柳多留」という本の存在を知ってしまいました。
 その「誹風柳多留」の1784年(天明4年)に発刊された19巻には、織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いについて、「ふんだり、けたりの目に今川出合」という句が収録されています。何と、これは被害者側からの言い方ということになります。
 こうして見ると、かなり昔から「踏んだり蹴ったり」は加害者側と被害者側の双方が混用しており、被害者が加害者の言い方である「踏んだり蹴ったり」をなぜ使うのかは分かりませんでした。

 

じつは、「踏んだり蹴ったり」についての疑問は、以前にも扱ったことがありました。それに気づかず掲載してしまいました。申し訳ありません。
 以前の回答をごらんください。 → 
疑問No.757