● 第一段 ● きれいなチョウ、きたないガ
車のドアを開けたら、チョウが中に入って来た。それが、なかなか外に出て行ってくれない。しばらくは様子を見ていたが、こっちにも仕事がある。訪問者には出て行ってもらわなければ。手でそっとつかまえて、退出願った。
チョウについて。
「チョウ」って何だろう。以前から疑問に思っていた。いや、つまり、「ガ」とはどう違うのだろうってこと。蝶よ花よと育てられ、虫なんて触ったこともないお方は、
「きれいなのがチョウで、ガはきたない」
などと平気でいう。これではガがかわいそうだ。こんな人間中心の決め方であるはずがない。アメリカシロヒトリというガは、真っ白でかなり美しいと思う。触るのはイヤだけど……。
では、「チョウ」の定義は何か。
定義というのは、非常に大切だと思う。複数が話を進めるとき、言葉が何を意味するのか、つまり、定義がしっかりしていなければ、
「あなたがこの前言っていたのは、そういうことだったのか。早く言ってくれたらよかったのに」
となる。
まあよい。「チョウ」の定義だ。
幼い頃は、
「チョウは羽を合わせてとまる。ガは広げてとまる」
と、区別していた。これは、しかし、羽を広げてとまるチョウが存在すれば、それで崩れてしまう。
これでは、どうだ。
「チョウは羽を合わせてとまることができる。ガはできない」
すこしは近づいたか。思うに、羽を合わせられる、合わせられないというのは、その体つきにあるのではないか。ガは、体が偏平だ。そういえば、羽のつき方もずいぶん違う気がする。ガの体の構造からいくと、あれで羽を合わせろというのは、我々に背中で手の甲を合わせろというのに近いかもしれない。
調べてみてわかったのだが、チョウとガの区別というのは、人間、それも特に日本人が好んで行っているだけのようだ。フランス語の「パピヨン Papilion」や中国語の「胡蝶」は、チョウとガの両方を表している。
チョウやガが話ができたら、
「そうだよ。僕らは、そんなにちがわないよ!」
というかもしれない。たとえば、「イカリモンガ」というガは、昼間に飛び回って、さらに羽を立てた状態でとまる。これでは、チョウと間違えられても仕方がない。
実は、チョウもガも分類上は同じ仲間、鱗翅目に属している。しかし、鱗翅目━━┳━━チョウの仲間
┃
┗━━ガの仲間のように分類されているわけではない。
実際の分類は、こんな感じだ。鱗翅目━━┳━━アゲハチョウ科
┣━━シロチョウ科
┣━━タテハチョウ科
┣━━シジミチョウ科
┣━━セセリチョウ科
┣━━ :
┣━━ :
┣━━ :
┣━━ヤママユガ科
┣━━シャクガ科
┣━━スズメガ科
┣━━メイガ科
┣━━ :
┣━━ :
┗━━ :つまり、アゲハチョウ科とシジミチョウ科が違う程度に、アゲハチョウ科とスズメガ科は違うということだ。
結局、チョウとガは「異なる」というよりは、「よく似ている」のだ。
【メモ】
◆日本では、「ガ」という言葉が普及したのは近世以降だといわれている。チョウ、ガ、そしてトンボまでも、まとめて「チョウ」と呼ぶ地域がごく最近まで残っていたそうだ。
◆チョウとガを見分ける目安。
(1) 飛び方。ヒラヒラ飛ぶのがチョウ、バサバサ飛ぶのがガ。
(2) 見かける時間。昼間みかけるのがチョウ、夜見るのがガ。
(3) 触覚の形。先が膨らんでいるのがチョウ、先が細くなっているのがガ。
(ガの触覚には、羽毛状になっているものも多い)
(4) とまり方。羽を立ててとまるのがチョウ、羽を平たくしてとまるのがガ。
(5) 腹部。腹部が細いのがチョウ、太いのがガ。
ただし、これらが絶対に正しいというものではないということを断っておく。
◆ジャノメチョウ科のチョウの羽には、蛇の目の紋が入っている。オスメスともに、羽の色が暗いので、よくガに間違われる。
◆トンボの仲間には、「チョウトンボ」というのもいる。こいつは、ちょっと羽が大きめで、ひらひらとチョウのように舞うトンボだ。幼いころはよく見かけたのだが、最近はまったく見なくなった。
◆スカシバガ科のガは、太い胴体といい、派手な色彩といい、誰が何と言っても、ハチに見える。その上、成虫は昼に蜜を求めて花を飛び回ることがあるから、ハチだと思われてもしかたない。
◆「スジグロシロチョウ」というチョウは、羽に黒い筋が入っている。このチョウを見て、「モンシロチョウ」という人が多い。
◆日本の国蝶に指定されているのは、オオムラサキ。大形で美しいアジア特産のチョウ。1957年10月の日本昆虫学会40周年大会で、日本の国蝶に指定された。
◆アゲハチョウの幼虫は、触ると臭い角を出す。小学生のころは、面白がって何度もやってみた。これは「臭角」と呼ばれるもので、酸性液を分泌する嚢(ふくろ)が裏返ったものである。天敵を撃退する際に使われると考えられている。
◆日本最西端の島である与那国島には、ヨナクニサンが生息している。世界でも最大級のガで、羽を広げると約20cm。羽の形がヘビに似ていることから、「スネークヘッド・モス」とも呼ばれている。
◆チョウのような形のウロコを持っているために「チョウザメ」と呼ばれている魚がいる。チョウザメ目チョウザメ科の魚の総称だ。「サメ」という名がついているが、れっきとした硬骨魚であって、サメ(軟骨魚)の仲間ではない。
チョウザメの卵を塩漬けにしたものがキャビアだ。カスピ海産が有名。
◆チョウチョウウオは、暖かい海の沿岸岩礁に住む魚。頭部に白と黒褐色の帯が通っているのが特徴。
◆『蝶々夫人』は、イタリアの音楽家、プッチ−ニ(1858〜1924)の作品。他に彼の三大名作と言われるのは、『ラ・ボエ−ム』と『トスカ』。『蝶々夫人』の恋の相手は、ピンカ−トン。日本人ソプラノ歌手は、三浦環(1884〜1946)は、欧米各地で『蝶々夫人』を2000回あまり上演した。
◆「ちょうちょう、ちょうちょう、菜の葉にとまれ……」で始まる『蝶々』は、日本の歌ではない。スペインの民謡に日本語の歌詞をつけたもの。1番を作詞したのは野村秋足、2番の作詞は稲垣千頴という人。2番の歌詞はあまり知られてないだろうから、それを紹介しておく。
起きよ、起きよ、ねぐらのすすずめ
朝日の光の さしこぬ先に
ねぐらをかいて こずえにとまり
あそべよすずめ うたへよすずめ
◆積乱雲の形が崩れて、チョウに似た形になったら、蝶蝶雲。
◆ぺちゃくちゃしゃべる様子は、喋喋。続けて打つ様子は、丁丁。恨み嘆く様子は、悵悵。
◆「バタフライ butterfly」のbutterは、パンにつけるあのバターだ。欧米人は、「黄色」と聞くと、太陽やバターが頭に浮かぶようだ。だから、黄色い蝶をbutterflyと名づけた。欧米では、モンキチョウが主流なのかな?
◆水泳の個人メドレ−での、最初の泳ぎ方がバタフライ。以下、背泳、平泳ぎ、自由形。メドレー・リレーの場合は、背泳、平泳ぎ、バタフライ、自由形。
◆自分が泳ぎが苦手なものだから、バタフライなんて変則な泳ぎ方は、平泳ぎに比べてずっと遅いのだろうと信じ込んでいた。実際は、バタフライの方がずっと速い。
◆バタフライが初めてオリンピックに登場したのは、1928年のアムステルダム大会。当時の平泳ぎの規定は、「手足が左右対称の動きをする」くらいのものだったので、これに目を付けたドイツのラーデマッヒェル選手が、自ら考案したバタフライで平泳ぎのレースに臨んだ。バタフライの圧勝であった。その後、彼をまねる選手が続々現れて、1956年のメルボルンオリンピックでは、バタフライは、晴れて「独立」した。
◆日本で「胡蝶蘭」と呼ばれている花の学名は、ファレノプシス。「ガのような」という意味がある。
◆清水の次郎長の女房の名前は、お蝶。彼女が次郎長に食事を運ぶときにつかうお膳の足のことを、「蝶足」という。で、そのお膳には、チョウの形をしたパスタ「ファルファッレ」が乗っている――なんてことはないな。
◆明治7年3月21日、東京築地の海軍兵学寮で、日本初の運動会が行われた。このときの種目の中に、「蝶の花追い」というものがある。これは、今でいう二人三脚だ。
◆映画『パピヨン』(1973)は、胸にチョウの刺青を男、原作者の数奇な運命をスティーブ・マックイーン(1930〜1980)とダスティン・ホフマン(1937〜)の2大スターで描いた実録小説を映画化したもの。南米ギアナの絶海の孤島を舞台に、何度も刑務所の脱獄をはかる2人の囚人を描いている。
日本には『パピヨン』なんて映画はないが、巨大なガが登場する映画がある。言わずとしれた怪獣モスラだ。モスラは、南洋に浮かぶ架空の島インファント島の守護神だ。
◆万国博覧会などの展示館を「パビリオン」というが、この語源が「パピヨン」。展示館としてのテントが、チョウの羽に似ていたというのがその由来。
◆スペイン産の愛玩犬にも「パピヨン」がある。チョウが羽を広げたような耳の形をしていのが、名前の由来。「バタフライ・スパニエル」と呼ばれたこともある。古くから貴婦人のひざ犬としてかわいがられ、マリー・アントアネット(1755〜1793)がつながれた独房の前を離れなかったという有名な話がある。ルーベンス(1577〜1640)やフラゴナール(1732〜1806)らの絵画にもたびたび登場している。
◆たとえば、北京で1頭のチョウが羽を動かして大気を乱すと、その影響で来月にはニュ−ヨ−クの気象を乱す――といった、初期状態のごく小さな変化が時間とともに拡大し、想像もつかないほどの影響を及ぼすことを、物理学用語で「バタフライ効果」というそうな。
◆アインシュタインは、人間を2つのタイプにわけていた。関心があちこちに移る「チョウのタイプ」と、ひとつのことに集中する「モグラのタイプ」だ。あなたは、どっちのタイプ?
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