★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第二十段 ●  マーブルチョコレートの謎

 友人の稲田君から年賀状が届いた。しょっちゅう会っているのだから、こんなものは必要ないのにとも思うのだが、水色の絵の具を使った模様がとてもきれいで、もらって悪い気はしなかった。
「年賀状が届いていたよ。ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
「それでね、あの水色の模様だけど、どうやって描いたの?」
「ああ、あれね……。あれは『描いた』んじゃないよ。写したんだ」
「『写した』!?」

「そう。『
マーブリング』っていうんだ。水面に墨汁や顔料を落としてできる模様を、紙や布に写し取る手法だよ。簡単にいうと、墨流しだね」
「そうか、じゃあ、あのぐにゃぐにゃした模様は、偶然の産物なんだね」
「そう。そのぐにゃぐにゃが大理石の模様に似ているから『マーブリング』なんだ」
「なるほど……」
「今日はね、『マーブル』で思い出して懐かしいものを持ってきたんだ」
「なになに?」
「ほら!」

「おお! 
マーブルチョコレート!」
「懐かしいっていっても、今でも売られているんだけどね……」
「いやいや、十分懐かしいよ。この細長い円筒形……。よしよし、元気だったかい?」
「そんなに感激してもらえると、うれしいよ」
「でも、これ、どうして『マーブル』っていうんだろ。『マーブル』っていったら大理石のことだろ。大理石みたいなチョコレートだったら、食べたら固くて、歯が折れてしまうよ」
「本当だ。別に大理石模様してるわけでもないしね……」
 まずは、大理石を調べてみた。

■ 
大理石 ■
石灰岩が熱変成作用を受けてできた変成岩。粒状の結晶質石灰岩。おもに方解石からなる。白色や白地に緑色のしま模様など。建築用および装飾用(室内用)建材に使用。イタリアが代表的な産地。marble。
  [日本語大辞典 講談社]

 どうもマーブルチョコレートと直接の関係はなさそうだ。「マーブル」と聞いて「大理石」と思ったのが間違いなのか。marbleだというのは思い込みで、それ以外の「マーブル」が他にあるのかもしれない。
 英和辞典で、「マーブル」と発音されそうなものを探したが、marble以外に見つからなかった。簡単にいきづまってしまった。自分で見つけるのが無理なら、作っている会社に尋ねてみるしかない。大胆にも明治製菓の支店に電話を試みた。男性の方が応対してくださった。大変丁寧な方だった。
「すいません。『マーブルチョコレート』のことでうかがいたいのですが」
「はい、何でしょう」
「『マーブル』っていうのは『大理石』のことですよね。マーブルチョコレートって、大理石とは似ても似つかないのですが、どういうところからのネーミングなんでしょうか?」
「マーブルチョコレートの名前の由来ということですね」
「はい、分かりますか?」
「いやぁ、あれの製造開始はもうずいぶん昔の話でして……」
「そうでしょうね、小さい時分から食べてましたから」
「実はあのチョコレートは、外国で開発されたものなんですよ。だから、名前の由来と言われましても……」
「えっ、外国で作られたんですか。じゃあ、分かりませんか?」
「はい、今すぐには……。本社に問い合わせますので、後日連絡するということでよろしいでしょうか」
「結構です。おかしな質問で申し訳ありません。よろしくお願いします」
 電話もかけてみるものだ。なんと外国の製品だったとは。しかしそうなると、この質問に答えるのはかなり大変だろうな。などと考えていたら、次の日に電話があった。
「昨日おうかがいの件ですが……、分かりました」
「えっ、分かったんですか。ありがとうございます」
「おっしゃられるように『マーブル』には『大理石』という意味があります。でも、そのほかにも意味があるのです……」
 「マーブル」には、「遊びに使うおはじき」「色のついた変わり玉」という意味があるのだそうだ。そう言われてみれば、マーブルチョコレートは、ちょうどおはじきくらいの大きさだ。「大理石チョコ」ではなく、「おはじきチョコ」だったんだ。だから、いろんな色があるんだ。そう考えて納得した。
 これは自己流の考えだが、おはじきは、石で作られていた。高級なものになると、大理石でできていたんだ。少なくとも、昔はそうだった。だから、いつしか、おはじきのことを「マーブル」と呼ぶようになったわけだ。
 お礼を言って、電話を切った。あとで英和辞典を調べてみたら、ちゃんと書いてあった。回り道をした。

■ marble ■
(名詞)(1) 大理石 (2) 大理石の彫刻作品 (3) おはじき遊び (4) (おはじき遊びの)はじき玉 (形容詞)(1) 大理石の、大理石模様の (2)(大理石のように)堅い;冷たい;純白な
 [アンカー英和辞典 学研]

 なぜ、円筒形の容器なんだろう。それも聞くべきだった。


【メモ】

チョコレートというと、板チョコのような固体をイメージするが、飲み物としての歴史の方がずっと長い。
カカオは、アオギリ科の常緑樹。学名のTheobroma は「神の穀物」を意味し、中央アメリカやカカオの原産地である南アメリカで、神からの授かりものとされてきた伝説にちなんでいる。カカオの種子をトウモロコシの種子と一緒にすりつぶして水を加えた飲み物は、独特の刺激と効果があり珍重されていた。
 16世紀の初めには、カカオ豆がコロンブス(1451〜1506)やコルテス(1485?〜1547)らによってスペインにもたらされたが、利用法は秘密にされていた。世間に知られるようになったのは、1607年には飲用のチョコレートの製造が始められてからである。
 ヨーロッパ中に広がるきっかけとなったのは、1660年、スペインの女王マリア・テレサがフランス国王ルイ14世(1638〜1715)に嫁いだとき。彼女がチョコレートの製法に優れた侍女を連れていったことで、16世紀中頃からヨーロッパの王宮で飲み物として愛好されるようになった。
 生産が本格的に工業化したのは、19世紀に入ってからだった。1828年には、オランダのバン・ホーテン社が、カカオ豆からココアバターの大半を分離し、粉末チョコレート(現在のココア)の特許を取る。また、1847年には、イギリスのフライ社がカカオに砂糖とココアバターを混ぜ、そのまま食べられるチョコレートを製造した。板チョコの歴史は、このとき始まったわけだ。

◆では、ここで、カカオ豆からどのようにして、チョコレートができるのか紹介しておこう。
 まず、カカオ豆をあぶる。こうすると、刺激味が減り、香りが増す。
  ↓
 種皮を割って、中からニブ(胚乳部)を取り出す。
  ↓
 ニブを臼でひく。脂肪がとけてペースト状になる。これは「カカオ・マス」と呼ばれ、53〜56%のココアバター(脂肪分)が含まれている。
  ↓
 カカオ・マスに砂糖、食塩、ミルク、食用油脂、香料などを加えて混合する。
  ↓
 粒子をなめらかにするために、「コンシュ」という容器に入れて、ゆっくりと攪拌する。
  ↓
 型に流し込んで、チョコレートのできあがり。

◆カカオ・マスを圧搾すると、ココアバターを抽出され、脂肪分がすくなくなる。このようにして飲みやすくなったものがココア。世界には、こちらを「チョコレート」と呼ぶ言語が多い。

ホワイト・チョコレートというのがある。色が白いので、「チョコレート」と言われてもどうも信じられない。名前は「チョコレート」でも、実際は別のものなんだろうと思っていた。
 ところが、これは間違い。製法がすこし異なるだけで、ホワイト・チョコレートも立派な「チョコレート」だ。ふつうのチョコレートもホワイトチョコレートも、原料は同じカカオ。ココアバターだけを使ってチョコレートを作ると白くなるのだ。

◆日本へは江戸時代の初期にチョコレートが持ち込まれたそうだが、原料から一貫製造が行われるようになったのは、1918年9月のこと。森永製菓の「森永ミルクチョコレート」が最初だ。ちなみに、森永製菓で、飲むチョコレート、ココアが製造されたのは、翌年の1919年のこと。

◆森永製菓の創業は、1899年(明治32)。東京の赤坂溜池にできた日本初の西洋菓子専門工場が始まりだった。このたった2坪の工場の最初のヒット製品は、マシュマロだった。マシュマロは、アメリカではangel food(天使の食べ物)と呼ばれていたので、ここから森永製菓のマークが考えられた。

◆森永製菓の創業から99年後、『チョコレート革命』が発表された。革命的なチョコレートの製法ではない。
「この味がいいねと君がいったから7月6日はサラダ記念日」
 で有名になった俵万智の3作目の歌集のタイトルだ。

◆「大理(ターリー)」という国があった。937〜1254、雲南省にあったタイ族の国だ。南詔という国を滅ぼした漢人の国を倒して建国された。モンゴルのフビライ(1115〜1194)によって征服され滅んでいる。この国の都があったのが、大理。大理石の産地として有名で、採石場が各地にある。もちろん「大理石」の「大理石」は、ここの地名にちなんだものだ。

◆一口に大理石と言っても、いろいろな色がある。いくつかを紹介しよう。
  オニックス……パキスタン産。緑っぽい。
  ネグロマルキーナ……スペイン産。黒っぽい。
  ビアンコカラーラ……イタリア産。白っぽい。「ビアンコ」は「白」ってことだろう。
  ローザアウローラ……ポルトガル産。赤っぽい。「ローザ」は「バラ」だな。

◆オニックスは、その美しさで名が通っている。産出は極めて限られ、非常に高価なので、建築に使われることは少なく、工芸装飾品の材料に使われている。

◆大理石で最も有名なものは、イタリアの
カラーラ産出の白大理石。白地に青灰色の点や筋が混入するこの大理石は、イタリアの国内はもちろんのこと、世界中の建築の内装・外装に用いられている。
 カラーラの町の背後の山々はすべて大理石でできており、谷間から1000mを越えるような高所にまで採石場がいくつも連なっている。カラーラを中心とした一帯には石材工場が集まり、石材加工業の世界の中心地となっている。

◆パルテノン神殿の破損彫刻はじめとするアテネの古代彫刻は、イギリスのエルギン伯(1766〜1841)がまとめて買い上げて、「
エルギン・マーブルズ」と呼ばれている。

◆エルギン伯T.ブルースは、イギリスの大使としてトルコに在任していた彼は、1801年、トルコ政府から「アクロポリスでの測量、調査、発掘、さらに彫刻や碑文の運び出しを認める」という勅許状を手に入れた。こののち数年間で、数多くの古美術品がイギリスに送られることになる。

◆これらは、現在、大英博物館に貯蔵されている。ギリシャ美術のコレクションとしては、世界最高といわれている。
 しかし、これらは、ブルースが博物館に寄付したのではない。彼は、そんなに太っ腹ではなかった。むしろ、お金がなかったのだ。
 彼は、収集や輸送にかかった費用の捻出に苦しみ、1810年、政府にこれらの古美術品を譲ることにする。だが、売買交渉はうまく進まなかった。美術品の評価が定まらなかったり、
「彼の収集の方法は破壊行為だ!」
 という非難が続いたからだ。
 結局、わずか35000ポンドという価格で政府に購入されてしまった。

◆マーブリングの特徴は、なんといっても、予想のできないあの模様にある。この技法は、日本では「墨流し」と呼ばれ、色紙、短冊、扇、襖紙などに使われていた。ただし、日本では、この模様が大理石と結びつくことはなかったようだ。

◆大理石を冷たさの象徴として用いることがある。a heart of marbleで、(大理石のように)冷たい心という意味だ。

◆しかし、「大理石様皮膚」という症状は、冷たい皮膚ということではない。抹消循環障害が原因で起こる皮膚の変化だ。長い間こたつに入っていたりすると、足や腹部に網目状の赤い斑点が現れることがあるが、あれだ。


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