★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第二十一段 ●  白髪の男性

 高校生の頃は、まだ東大阪市に住んでいた。大阪府にはたくさんの市があるのだが、東大阪市というのは、大阪市の東にあるからというネーミングだ。大東市というのもある。これも同じ発想から名付けられている。
 通学の途中、駅の近くを歩いていると、白髪の男性とすれ違うことがあった。当時は、その人が誰なのか知らなかった。今思えば、情けない高校生だった。
 高校を卒業して、下宿を始めた。働きながら、浪人生活を送った。朝の早い仕事だった。仕事の途中、散歩をしている白髪の男性と出会うことが何度もあった。すこしではあるが勉強を積んでいる分、その男性が誰なのかは知っていた。
 朝早くなので、
「おはようございます」
と挨拶をした。恥ずかしくて、とても小さな声だったから、届いていなかったかもしれない。
 その人は、1960年に『梟(ふくろう)の城』で直木賞を受賞された人だった。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『翔ぶが如く』の作品で知られた人だ。
 大学に在学中も、駅付近でお見かけすることがあった。なんだか、うれしくなった。できればお話がしたいのだが、恐れ多くてできない。だいたい、恥ずかしいことに作品を一つも読んでいないのだ。
 これではいけないと、本屋に駆け込んだ。
 何巻も続いているような大作は、初心者としては大変なので、上・下巻ぐらいのものを探した。その結果、『峠』というタイトルの文庫本をレジに運ぶことになった。カバーに書かれたあらすじに引かれたというのもあったからだ。
 一気に読んだ。一気に読めた。幕末の長岡藩に河合継之助という人物がいたということを、『峠』を通して初めて知った。今から司馬遼太郎を読もうとする人へ、長編はきついなと考える人へ、この本を推薦したい。
 最近は、『街道をゆく』シリーズを読んでいる。読み終えるのはいつになるだろうか。
 司馬遼太郎さんは、1996年2月12日お亡くなりになった。72歳であった。
 以後、2月12日は、司馬遼太郎が愛した野の花にちなんで『菜の花忌』と呼ばれている。

【メモ】
◆司馬遼太郎の本名は、福田定一(ていいち)。ペンネームは、古代中国の歴史家、司馬遷へのあこがれから、「司馬遷に遼(はる)かに遠い」との意味を込めてつけたそうだ。

◆■ 司馬遷(しばせん) ■
前146頃〜前86頃、前漢の史家。前99年、匈奴に捕われた将軍李陵(りりょう)を弁護して武帝の怒りにふれ、翌年宮刑に処せられた。以後全力を傾け『史記』を完成する。

◆宮刑とは、中国古代の計の一つで、死刑に次ぐ重刑。男子は生殖機能を奪われ、女子なら生涯幽閉された。

◆『史記』をベースにした『項羽と劉邦』で、司馬遼太郎は大仏次郎賞を受賞している。

◆劉邦が項羽を破った戦いは、垓下(がいか)の戦い。四面楚歌の中、項羽と共にいた彼の愛人が、虞美人。漢の劉邦に敗れて自決し、その血が花になったという。それが虞美人草。ひなげしのことだ。

◆司馬遼太郎さんの最後の作品となったのは『韃靼疾風録』。

◆「司馬遼太郎賞」というのがある。毎年、2月12日の菜の花忌に、贈賞式が行われている。文芸、学芸、ジャーナリズムの広い分野の中から、創造的な活動で注目を集めた人、あるいはその業績を顕彰するものだそうだ。
 受賞者には正賞として懐中時計が送られる。これは、司馬遼太郎が、懐中時計だったからだ。
 1998年、最初にその懐中時計を手にしたのは、立花隆。2002年には、宮部みゆきも受賞している。

◆「梟」と書いて、フクロウ。
 フクロウ科のコノハズクは、「ブッポウソウ」と鳴くので「仏法僧」の別名を持っている。聞いてみたい。
 実は、「ブッポウソウ」という別の鳥もいて、こちらが、「ブッポウソウ」と鳴くのだとばかり考えられていたのだが、1932年に初めて、コノハズクの鳴き声であることが確認された。
 だから、ブッポウソウは、「姿のブッポウソウ」、コノハズクは、「声のブッポウソウ」と呼ばれている。

◆童謡『静かな湖畔』の中で、カッコウは「もう起きちゃいかが」と鳴く。フクロウは「おやすみなさい」と鳴く。聞いてみたい。

◆代表的な歴史小説『国盗り物語』では、前編は斉藤道三、後編は織田信長を主人公としている。

◆さらに、「司馬さん」を何人か紹介しよう。
■ 司馬光(しばこう) ■
1019〜86、北宋の儒学者・政治家。1086年、哲宗の宰相となり、新法を廃止し旧法を復活させた旧法党の中心人物。『資治通鑑(しじつがん)』という歴史書を表している。

■ 司馬江漢(しばこうかん) ■
1738〜1818。前野良沢に蘭学を学び地動説を紹介、封建政治を批判する。平賀源内とも交わり、1783年に日本銅版画を創製する。彼の銅版画は、「エッチング」と呼ばれるもの。1784年に制作された銅版画『不忍池図』は、凸レンズを通して見るという「眼鏡絵」だ。左右逆に描かれている。

◆防食材でコーティングされた金属面に鉄筆で描き、酸性の液に入れて線描部を腐食させ凹判を作る。この技法が、エッチング。

◆「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉がある。この仲達とは、司馬懿(しばい)仲達だ。中国、三国時代の魏の宰相。彼の孫の司馬炎は、265年に晋(西晋)を建国した。

◆司馬遼太郎さんは、本当に真っ白な髪の毛だったので、遠くからでもその人だと分かった。

◆李白は、「白髪三千丈、愁に縁ってかくのごとく長し」と歌っている。

◆司馬遼太郎記念館のHPは、こちら。
 
http://www.shibazaidan.or.jp/


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