★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第二十七段 ●  誕生日おめでとう!

 泉重千代さんという方をご存じだろうか? そうそう、一時、長寿世界一の記録を持っていた日本人だ。一時期こんな笑い話が流行したことがある。
「泉重千代さん、どんなタイプの女性が好きですか?」
「わしゃ、年上のひとが好きじゃ」
 さて、どれくらい長寿だったかというと、120歳と237日。還暦2つ分だからすごい年月だ。しかし、世界は広い。この記録を破る女性がフランスにいた。
 南仏アルルのジャンヌ・カルマンさんは、1875年2月21日生まれ。彼女は、アルルで数多くの傑作を描いたゴッホにも会ったことがあるという。1996年1月に4曲の歌を録音しており、それが2月にCDとして発売されている。最高齢の歌手だったいうことにもなる。CDの売り上げは、老人ホームの仲間のためのバス購入にあてていたそうだ。
 過去形で書いているが、実は、カルマンさんは、1997年8月4日、122歳で亡くなっている。大往生だ。
 カルマンさんには、長寿ならではのエピソードがある。「若い者」がどんどん先に亡くなってしまうのだ。そのためにふつうなら果たせるはずの約束も、履行できなくなってしまうことがある。
 彼女はアルルにアパートを所有していたのだが、それを彼女の死後に譲るということになっていた。売買契約を結んだのは1965年の5月、相手は弁護士のラフレー氏。
 当時、カルマンさんは90歳、ラフレー氏は47歳だったから、ラフレー氏とすれば、そう何年もたたないうちにアパートに入居することができると考えるのも当然だった。彼は、アパートを彼女の死後に譲り受けることを条件に毎月2500フランを支払っていた。しかし30年たっても、彼女はまだ元気だった。ずっと待ち続けたラフレー氏だったが、1995年12月25日、クリスマスに77歳でこの世を去った。
 総額92万フラン(約1800万円)も支払ったうえに、アパートは購入できなかった。長生きのコツでも聞いておけばよかったのに……。

【メモ】

◆生まれてから死ぬまで、1秒につき1円ずつ貯金する。
   1時間‥‥‥‥‥3600円
    1日‥‥‥‥・86400円
    1月‥‥‥・2592000円 ( 30日として計算)
    1年‥‥‥31536000円 (365日として計算)
   1世紀‥‥3153600000円 (1年を365日とした)
    121年‥‥3815856000円
「継続は力なり」ということか。

◆さて、カルマンさんが生まれた1875年にはどんなことが起こっているか……?
 1875年、榎本武揚は特命全権公使としてロシアに赴き、ロシアとの間に樺太・千島交換条約を締結している。

◆1875年、日本軍艦雲揚(うんよう)号が示威運動中、朝鮮が砲撃を開始した。舞台になった島の名前から江華島事件という。翌年、朝鮮の開国を定めた日朝修好条規(江華島条約)が結ばれている。

◆1875年、大阪会議の結果を受けて、左院に変わって元老院という立法機関が設けられた。

◆さて、次に、
ゴッホについて、簡単にまとめておこう。
■ ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ ■
1853〜1890。オランダの画家。主にフランスで活動する。生きている間には『赤いブドウ畑』という1枚の絵しか売れなかった。経済的に苦しく、美術商の弟テオの援助を受ける。燃えるような色彩と強烈なタッチで風景画や自画像を描き、20世紀絵画の先駆者となった。自分の耳を切る事件を起こし、最後はピストル自殺を遂げる。代表作に、『ひまわり』『糸杉』『アルルのはね橋』『夜のカフェ』など。「炎の人」というニックネームを持つ。

◆ゴッホは、日本の絵画から多くの影響を受けている。
 1860年代、日本の浮世絵、装身具、陶磁器、工芸品などがヨーロッパに渡り、パリの画家や工芸家たちの間にブームが起こっている。そして、70年代には、マネ(1832〜1883)、ロートレック(1864〜1901)らをはじめとする印象派の画家たちが率先して日本の新しい表現方法を自分たちの芸術の中に取り入れ始めている。
 なかでも、特にゴッホは浮世絵に影響を受けている。オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館には、『日本趣味・梅の花(広重による)』『日本趣味・おいらん(英泉による)』などの浮世絵の模写がある。また、ここには、ゴッホや弟のテオが集めた約400枚もの浮き世版画も収められている。

◆浮世絵の明るい色彩に感動したゴッホは、南国の太陽の光に憧れて、1888年2月、アルルでの生活を始める。10月には、ゴーギャン(1848〜1903)が来訪し、二人の共同生活が始まる。しかし、12月、「耳切り事件」が起き、ゴーギャンはアルルを去り、ゴッホは病院に収容される。

アルルといえば、戯曲『アルルの女』が有名だが、これは、フランスの小説家アルフォンス・ドーデ(1840〜1897)の作品。ビゼー(1838〜1875)は、この戯曲に付随する音楽27曲を作曲している。ふつう、ビゼーの『アルルの女』といえば、2つの管弦楽曲用の組曲をいう。

◆日本にゴッホを紹介したのは、文学雑誌『白樺』。
 1910年(明治43)から1923年(大正12)の終刊号までに、図版73点、関連文献59篇を掲載している。ゴッホの名は次第に日本国内に広がり、多くの芸術家・文化人が彼を賞賛する言葉を残している。

◆三好十郎(1902〜1958)は、ゴッホを題材に『炎の人』という戯曲を書いている。

◆日本の版画家、
棟方志功(1903〜1975)は、「わだばゴッホになる」と言った。
 青森市の生まれ。代表的作品に、『大和し美し』『釈迦十大弟子』。青森市には、棟方志功記念館がある。

◆ゴッホといえば、『ひまわり』が有名だが、彼は合計11点もの『ひまわり』を書いている。この中の一つ『花瓶の5本のひまわり』は、関西の実業家が購入し、海を渡った最初の「ゴッホ」となった。しかし、この『ひまわり』は、第2次世界大戦の空襲で消失し、今では写真でしか見ることができない。


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