● 第三十一段 ● 糸を紡ぎ、布を織った人々
ジョン・ケイ、ハーグリーブズ、アークライト、クロンプトン、カートライト。さて、これらはいったい何か? きっと、どこかで一度は聞いた覚えがあると思うのだが……。
「何か」は失礼だ。人間なのだから。では、5人の共通点が何か? そう、イギリスの産業革命の発端となった木綿工業の分野で、優れた発明をした5人だ。今回はこの5人について、ちょっと勉強してみよう。
木綿工業と言っても、大きく2つに分けることができる。糸を紡ぐ「紡績」と、布を織る「織布」だ。
1733年、ジョン・ケイ(1704〜1764?)が織布の分野でまず口火を切った。「飛び梭」と呼ばれているものだ。「梭」とは、横糸を織るときに使う左右に動く道具。英語では、shuttle(シャトル)。そうそう、バドミントンのシャトルコックも行って戻ってくるし、スペースシャトルもそうだ。あのシャトルだ。
で、ケイが発明したのは、梭を自動的に動かすというもの。従来の機械よりも倍のスピードで仕事が進むので「飛び梭 flying shuttle」というわけだ。今まで2人でやっていた仕事が1人でできるようになるし、幅の広い布を織ることも可能になるし、画期的な機械だった。また、この機械の導入で、織り手工が前かがみの姿勢を続けなくてもすむようになり、健康上のメリットもあった。
しかし、2人でやっていた仕事が1人でできるとなれば、織り手工たちにリストラの不安が起こる。当然、彼らは飛び梭の導入には反対した。ケイは彼らの迫害を避け、何度も転居を続け、最後にはフランスに亡命し、貧困のうちに死亡した。
織り手工たちの反抗にもかかわらず、飛び梭は広く普及していき、深刻な綿糸不足が起こった。これを解決したのが、ランカシャーで織布職人をしていたハーグリーブズ(?〜1778)だ。
彼は、1767年(64年説もある)1人で8本の糸を紡ぐ多軸紡績機を発明、妻の名を取って、「ジェニー紡績機」と名付けた。しかし、ケイの場合と同様のことが起こる。職を奪われると考えた紡績工たちは、ジェニー紡績機を破壊した。彼は別の土地に逃れ、小さな工場を経営、紡績機の改良を続け、1人で80本を紡ぐことができるものまで完成させた。ジェニー紡績機は急速に普及し、糸不足という状況は解消されたが、ハーグリーブズは特許をとっておらず、彼もまた貧困のうちに死亡した。
ランカシャーの貧しい家庭に生まれたアークライト(1732〜1792)は、綿糸不足に目をつけ、2対のローラーによって糸を紡ぐ機械を考案した。最初は馬を動力としていたが、1771年には水力紡績機を発明した。また、彼は紡績工場を設立し、莫大な利益を得た。さらに1790年には、蒸気機関を動力とし、事業を拡大した。蒸気機関の設備は巨大であったため、アークライトの水力紡績機は工場に設置されることになる。工場制大量生産の始まりである。一方、ハーグリーブズのジェニー紡績機は小型で手動のため、各家庭に普及した。両者の出現で、綿糸不足は完全に解消する。それどころか、綿糸は生産過剰を起こし、織布の工程の機械化が待たれることとなった。
国王ジョージ3世は、アークライトを貴族に叙し、その功績をたたえている。
1779年、紡績工のクロンプトン(1753〜1827)は、「ミュール紡績機」を発明した。「ミュール」というのは、ウマとロバの間に生まれたの子のこと。つまり、ジェニー紡績機、水力紡績機両機の長所を結合させたということだ。この結果、細く強い糸を紡ぐことができ、製品の質が安定するようになった。この原理は、現在でも使用されている。
ミュール紡績機は2つの紡績機の折衷ということで特許が得られず、政府から5000ポンドの賞金を贈られただけだった。
1785年、織機の機械化が期待される中、飛び梭の3.5倍のスピードという「力織機」を発明したのが、カートライト(1743〜1823)だ。始めは馬力で動かしていたが、水力紡績機にヒントを得て、蒸気機関を導入した。これは、糸が切れたときには自動的に止まるという、優れたものだった。現在の織機も、原理的には力織機の延長上にある。
カートライトはイギリス政府から、1万ポンドの賞金を受けている。
「飛び梭を作ったのはジョン・ケイ」と丸暗記するだけでは、面白くも何ともない。当時の社会の状況や、その事件が起こったことによる影響などを知ることで、歴史は数段面白くなる。それこそが、「歴史の勉強」なのだと思う。
今から思えば、自分の高校時代なんて「歴史の勉強」になってなかったと思う。これからでも遅くないかな?
【メモ】
◆当時のイギリスは、インドや北アメリカから大量の綿花を安く輸入できる条件にあり、機械化が待たれていた状態だった。
◆アークライトは、工場で働く工員の能率向上にも努めている。彼は自分の向上での労働時間に12時間に制限した。これは当時としては、かなり短い労働時間であった。
◆蒸気船を開発したフルトンは、カートライトから援助を受けていた。
■ フルトン ■
1765〜1815、アメリカの技術者。ペンシルベニア州に生まれた彼は、時計工、画家を経て技術者になる。1797年には、海上では帆で進み水中では手回しのプロペラで進むという潜水艦ノーチラス号を製作、その試運転に成功した。1803年、セーヌ川で蒸気船の実験に成功。1807年には、ワット(1736〜1819)の蒸気機関を積んだ外輪船クラーモント号を作り、ニューヨーク―オルバニー間の約240kmを32時間で航行し、商業的にも成功した。
◆世界史を勉強している高校生へ。
アークライトとカートライトは名前が似ているので、名前と彼らの業績がごちゃごちゃになってしまうことがあるかもしれない。「カートライト」の「カ」を、「力織機」の「力」だと覚えれば、すんなりと頭に入る。それでもだめなら、アークライトの方から暗記しよう。「アクアラング」「アクアリウム(水族館)」「アクアフィルター」など、「アクア」には「水」という意味がある。「アークライト」の「アーク」は、むりやり「アクア」――「水力紡績機」の「水」だと覚えればよい。
◆シャトルといえば、バドミントン。
バドミントンは、インドからイギリスに伝わったスポーツ。当初は、インド西部にある都市の名前から「プーナ」と呼ばれていた。それが「バドミントン」となるのは、1873年ごろのこと。
イギリスのボーフォート候は、プーナが大好きで、週末には別荘に友人を招いて大会を開いた。この別荘があったのが、バドミントンだった。1893年には、バドミントン協会も設立されている。
◆バドミントンのシャトルコックは、16枚の羽で作られている。スペースシャトルのオービターには、2枚の三角翼がついている。スペースシャトルの方は、ずいぶんすくない気がする。
◆「『シャトル』を知っていますか?」
と尋ねたら、布を織るシャトルやバドミントンのシャトルを思い浮かべる人は、かなりすくないだろう。「シャトル」といえば、やはり「スペースシャトル」だ。
■ スペースシャトル ■
アメリカが開発した世界最初の再使用型有人宇宙船。本体であるオービター、外部タンク、2本の固体ロケットブースター(SRB)から構成される。オービターは、スペースシャトルの代表的な構成部分で、滑空して帰還することができる。1975年に開発が始まり、1981年4月に初の軌道飛行に成功した。
◆スペースシャトル・エンタープライズ号は、計画の初期の段階で、オービターの滑空・着陸などの基礎的な試験をするために使われた。
◆1961年に竣工した世界初の原子力空母も、エンタープライズ。原子力を利用すると、給油の必要がなくなるので、その機動性が著しく高められることになった。そういえば、テレビドラマや映画の『スタートレック』に登場する宇宙船も、エンタープライズだ。
◆スペースシャトルによる初の宇宙飛行は、1981年4月12日のコロンビア号が最初。その後、チャレンジャー号、ディスカバリー号、アトランティス号の4機が順調に飛行していた。
しかし、25回目の飛行になる1986年1月28日、チャレンジャー号は打ち上げから1分14秒後に爆発を起こし、7人の乗員は全員死亡した。この事故でスペースシャトルの利用計画が非常に遅れたが、1988年9月には再開、1992年にはエンデバー号が参加し、4機の体制に戻った。
◆ディスカバリー号という宇宙船は、映画『2001年宇宙の旅』にも登場している。映画『エイリアン』に登場する宇宙船は、ノストロモ号。
◆スペースシャトルに乗った日本人。
(1) 毛利衛 1992年 9月12日打ち上げ エンデバー
(2) 向井千秋 1994年 7月 9日打ち上げ コロンビア
(3) 若田光一 1996年 1月11日打ち上げ エンデバー
(4) 土井隆雄 1997年11月19日打ち上げ コロンビア
(5) 向井千秋 1998年10月29日打ち上げ ディスカバリー
(6) 毛利衛 2000年 2月12日打ち上げ エンデバー
◆スペースシャトルに乗せる宇宙実験室を、「スペースラボ」という。
◆オービターは、約100回の再使用に耐えるそうだ。外部タンクは、使い捨て。
◆実は、ブースターも再使用されている。燃焼後、パラシュートで落下してきたブースターを、太平洋上で回収し、大部分の機材を再使用する。約20回再利用されるそうだ。
◆NASDA(宇宙開発事業団)は、2003年10月1日、他の2つの組織と統合され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が誕生している。これからの話は、NASDAだったころの話。
現在開発中の日本版スペースシャトルは、「HOPE」という名前だ。HOPEを開発するために、まず、無人のスペースシャトル「HOPE-X」を開発し、さまざまな実験が行われた。
このことに関連して、NASDAは、ある島を長期に渡り無償で借りることにした。この島は、中部太平洋赤道下にあるキリバス共和国のクリスマス島。
あまり知られていない国かもしれないが、この島を選んだからには、それなりのメリットがあるのだ。クリスマス島なら、HOPE-Xの地球周回軌道の直下にあって効率がいい。その上、人口の密集地や他の国の領空を気にする必要がないのだ。
NASDAではずいぶん前からこの島には注目していたようだ。約20年も前からロケット・衛星追尾用アンテナをここに設置している。これはつまり、
「ほほ〜、ここはなかなかいい場所だぞ!」
と、「唾を付けていた」ということだ。
貸してもらえる期間は、最長20年ということだ。その間の土地の賃貸料や使用料は無料にしてもらったのだが、電力・道路・港湾・滑走路などの必要条件はNASDAの方で整えるようにということになっている。ま、これは当然の話だな。
現在、NASDAでは種子島の宇宙センターからロケットを打ち上げているが、将来ロケット打ち上げの需要が増えてくると種子島だけでは対応できなくなることも考えられる。その場合は、クリスマス島を日本の「宇宙港」にするという構想もある。
【参考文献】
・人物編 世界の歴史がわかる本 [ルネッサンス帝国篇] 綿引 弘 三笠書房
・世界史用語集 山川出版社