● 第三十三段 ● 休め、休め
小田原市立豊川小学校には、二宮金次郎の石像があるそうな。
「そうそう。ひと昔前は、どこの小学校にも金次郎さんの像があったね。薪を背負い、働きながらでも、本を読んでいるあれね」
というのではない。この小学校の金次郎さんは、座っているのだ。まるで、仕事をサボって本を読んでいるように見える。こういうのは、大好きだ。一度でいいから見てみたい。
二宮金次郎は、1787年、相模国足柄上郡栢山村に生まれている。現在の小田原市だ。彼がまだ子どものころ、
「百姓の子が本なんか読む必要はない。行灯の油がもったいない!」
と言われ、畑ではない川の土手に菜種を植えて油を取ったというエピソードがある。ここなら税金も取られないというメリットもあった。以後彼は、自分の土地は他人に貸して、自分は税金のかからない荒地の耕作に精を出すことになる。「努力と倹約の人」というイメージは、この頃のものだ。
桜町領(現栃木県二宮町)は、金次郎が最初に復興させた土地だ。彼は藩主の依頼を受け、そこに乗り込んだ。まず、彼は怠けがちな農民の心に揺さぶりをかける。一生懸命に仕事をする者を、村の者に選ばせて表彰したのだ。困っている百姓には金も貸した。金次郎自身がリッチだったわけではない。彼が金貸しから金を借りて、それを百姓に貸していたのだ。しかし、それでは金次郎自身が、金を返せなくなる。そこで彼はユニークな方法を考えた。
百姓には担保がなかった。無差別に金を貸せば、その金は戻ってこない心配がある。そこで金二郎は、選挙のようなものを行った。百姓の信用度を測ろうとしたのだ。そうやって、誰がいちばん真面目に働いているかとか、誰がいちばん困っているかとかを調べ、得票数の多かった者に金を貸す。投票者はその人物を保証したわけだから、本人が返せないときは投票者から取るぞというやり方だ。
金を貸した相手の信用度が高いと言っても、金次郎は金貸しに利息を払う必要があるのだから、無利子ではやってられない。そこで「元恕金」という制度を考えた。借りた金額を月賦で返すとする。全額返し終わった後に、
「ありがとうございました。本当に助かりました」
の意味を込めて、もう1月分返すというわけだ。百姓にとっては、今までの高利貸しに比べたら、安い方なのでそれほど苦痛を感じないわけだ。
しかし、これらの方法がすんなり成功したわけではない。百姓らの心をつかむまでに、金次郎は7年もの時間をかけている。結局は彼の労が実り、桜町領の収穫量は以前の3倍を越えるまでになった。
その後も彼は、関東地方のおよそ600の農村を復興させ、56歳で幕府の役人となる。このとき、二宮金次郎尊徳を名のっている。そして1856年(安政3)、明治維新の12年前に、70歳の生涯を閉じた。
彼の墓は栃木県今市市の二宮神社にある。
【メモ】
◆金次郎さんが生まれたのは、先にも紹介したように、神奈川県の小田原市。この「小」を「大」に変えた大田原市があるのは、栃木県。ここで、すこし都市の名前で遊んでみよう。
・亀岡市……京都府 鶴岡市……山形県
・春日市……福岡県 春日部市……埼玉県 春日井市……愛知県
・久留米市……福岡県 東久留米市……東京都
・有田市……和歌山県田無市……東京都※「田無市」は現存しません(現在は西東京市)。
・小野市……兵庫県 大野市……福井県 大野城市……福岡県
・白石市……宮城県 黒石市……青森県
・全く同じ名前の都市がある。
府中市……東京都、広島県
伊達市……北海道、福島県
・日本に「せんだい」市は2つある。
仙台市……宮城県 川内市……鹿児島県
※鹿児島県の川内市は、2004年10月12日に市町村合併で薩摩川内市となりました。・日本の都市の中で、「へ」から始まる都市は1つだけ。
碧南市……愛知県
・「る」から始まる都市も1つだけ。
留萌市……北海道
・「け」から始まる都市も1つだけ。
気仙沼市……宮城道
・「ぬ」から始まる都市は2つ。
沼津市……静岡県 沼田市……群馬県
・「ね」から始まる都市も2つ。
寝屋川市……大阪府 根室市……北海道
◆長引くばかりで、いつまでたっても結論のでないような相談のことを、「小田原評定」というが、この小田原も神奈川県の小田原。
小田原城が豊臣秀吉(1537〜1598)の軍に囲まれたとき、降伏するか、それとも戦うのか、城内での相談がなかなかまとまらなかったことから生まれた言葉だ。このとき城にたてこもっていたのは、北条氏政(1538〜1590)・氏直(1562?〜1591)の親子。
結局、籠城策が採用されたのだが、圧倒的な武力の差を有する秀吉軍が、1590年4月小田原城を包囲し、関東各地の後北条氏の支城を攻略。孤立した氏直は、7月に降伏した。その後、氏政らは自害、氏直は高野山に追放されて後北条氏は滅び、その領地は徳川家康に与えられることになる。
◆小田原の甚左衛門という人物によって初めて作られたというのが、小田原提灯。主として旅行用。たたむと懐中に入るくらいになるので、携帯に便利。しかし、現在これを持って歩いているという人を見かけることはほとんどない。
◆尊徳が教育の場において修身の手本とされたのは、明治30年代から。1900年の検定教科書『修身教典』に初登場した尊徳は、1904年の国定教科書『尋常小学修身書』では、孝行・勤勉・学問・自営の4つの徳目に採用されていた。
日本全体が戦争に向けひた走った時代に、「お国のために……」の象徴としてまつりあげられた金次郎だったが、戦後の民主主義の発達の中で、教育の場からは隔離されていた状況にあった。しかし、1987年、小学校の指導資料の中にわずかながら復活している。
◆この人気にあやかったのか、二宮尊徳は戦後最初に発行された1円札の図柄になっている。また、多くの小学校の校庭に、彼の銅像が建つことになる。富山県高岡市は、二宮尊徳の銅像の生産をほとんど一手に引き受けていたのだが、今では随分注文が減ったそうだ。
◆東京駅の近くにある八重洲ブックセンターの前には、金色の金次郎像が立っている。1991年、同センターの会長が立てたものだ。
もともと金色だったわけではない。30円で金箔を買ってもらい、願いを込めて像に張るということを始めたので、金色になっちゃったというわけ。入試のシーズンになると、受験生が多くやってくる。会長は、世の中に「勤勉」の2文字を思い出してほしいという意図でこの像を建てたのだが、「受験の神様」的存在になってしまったようだ。
◆「サボる」という言葉は、「サボタージュ」というフランス語から生まれた。
ローマ時代から知られた靴に、ブナ、クルミ、ハンノキなど耐水性のある堅い木材をくり抜いて作られた木靴があったのだが、これが「サボ」。オランダやフランス、ベルギーなどの農民や工場労働者などに愛用されていた。
このフランス語の「サボタージュ」は、日本では怠業の意味で使われるが、本来は、労働争議の、サボで収穫物を踏んだり、工場の床を踏みならしたり、機械や製品を故意に打ちこわしたりしたことに由来する。
◆サボったわけではないが、様々な事情からどうしても休まなければならないときもある。大相撲では、対戦相手が同時に休場となった場合、両者不戦敗となる。
◆槇原敬之は『ズル休み』という歌を歌っている。
◆中世のヨーロッパでは、耕地を冬作地、夏作地、休閑地の3つに分けて農業を行っていた。耕地を休ませるなんてもったいないように思えるが、地力の衰えを防ぐためには、どうしても休ませる必要があったのだ。この農耕形態を「三圃式農業」という。
◆休むことを奨励した功績で、ノーベル賞まで受賞した人がいる。
アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルト(1858〜1919)は、日露戦争の休戦調停をした功績で、アメリカ人初のノーベル平和賞を受賞している。
日露戦争の講和条約であるポーツマス条約は、1905年、日本側の小村寿太郎、ロシア側のウィッテら4名が記名調印して成立した。これでやっと休めるようになったわけだ。
◆「休む」ということで思い出した、どうしても忘れられない映画がある。
■ 『ローマの休日』 ■
映画『ローマの休日』は、1953年に製作され、翌年日本で公開された。監督は、ウィリアム・ワイラー(1902〜1981)。オードリ・ヘプバーン(1929〜1993)は、初主演にしてアカデミー主演女優賞を獲得し、彼女のショート・カットは世界中の女性たちの間で流行した。主演男優は、グレゴリー・ペック(1916〜2003)。
◆『ローマの休日』のモデルになっているのは、イギリスの王室。当時のマーガレット王女とお付き武官のタウンゼント大佐の悲恋という事実を題材に製作された。
映画の最後の場面で、オードリー扮する王女が、
「Absolutely Roma.(絶対にローマですわ)」
と、答えるシーンがあるのだが、個人的に大好きだ。
さて、この映画で有名になった観光名所がある。嘘ばかりついている人が手を入れると食べられてしまうという「ボッカ・デラ・ヴェリタ(真実の口)」だ。これは、トリトーネという神様の口。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会で、あなたを待っている。
私も手を突っ込んだことがあるが、大丈夫だった。
◆休まなかったら皆勤賞をもらえるなんてシステムは、まだあるのだろうか? ということで、今度は休まなかったというお話。
山口瞳(1926〜1995)は、『男性自身』というエッセーを、1614回も休まず週刊誌に連載した。また、NHK教育テレビの人気番組『できるかな』で高見映は、23年間一度も休まずに「ノッポさん」を演じた。
さらに、大きなのっぽの古時計は、100年間休まずに動いていた。これは、童謡『大きな古時計』でのお話だから比較にならないか。
◆昔の人は、休まなかった。というより、「休日」というシステムのなかった頃は、奉公人や嫁が休みをもらって親元に帰れるのは、盆と正月の16日くらいだった。「藪入り」という習慣だ。これを称して、「地獄の釜の蓋も開く」といわれた。
◆4月から5月にかけての大型連休を「ゴールデンウィーク」というが、これは和製英語。休日が続くことで客が増える映画業界が用いた言葉だ。
これも業界用語だったのだろうか、「のべつ幕なし」。ひっきりなしに続く様子を表している。芝居で幕を引かず休まず続けることから転じてできた言葉だ。
◆「天才とは99%の努力と1%の霊感である」
と言った発明王エジソン(1847〜1931)は、
「休むことは錆びることだ」
とも言っている。
休むために働くのか、働くために休むのか……、どっちかな?