★雑木話★
ぞうきばなし

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  ● 第四十五段 ●  お茶しない?

 いたずらを一つ。
 名古屋で大学時代の後輩の結婚式があって、稲田君、杉野君らと一緒に出席した。その帰りの話。奈良に向かう特急の時間まで30分ほどある。喫茶店で時間をつぶすことにしたのだが……。杉野君が、うれしそうな顔をして、楽しそうな提案をした。
「僕らは日本人に見えるけど、実は英語しか話せないのです」
「どうして?」
「だから、そういうことにして喫茶店に入りませんか」
「分かった、面白そうだ。でも、それって勇気がいるなぁ。でも、もし、英語が通じなかったらどうするの?」
「だから、稲田君だけは、バイリンガルなんです」
「なるほど。きっと、僕は君たちに名古屋を案内していたんだ」
「もう一つ、僕らは、すこしだけならひらがなやカタカナが読めるんです」

 ワクワクして、中に入る。
「いらっしゃいませ」
 ウェイターがメニューを持って来た。稲田君がさっそく切り出し、杉野君が答える。
「さあ、何にする。What do you want?」
「Please show me the menu. I try to read. コ・ー・ヒ・ー。 Is this coffee? Ok, coffee please.」
「コーヒーを1つ」
「ホットですか、アイスですか?」
「Do you want hot coffee or cold coffee?」
「Hot please.」
 ウェイターは、怪訝な顔つきで対応していた。順番が回って来た。
「I want to read the menu, too. Ah, オ・レ・ン・ジ・ジュ・ー・ス。Oh, this is orange juice!」
「オレンジジュースですね」
「No,no! Wait a minute. Ah,ha ア・ツ・プ・ル・ジュ・ー・ス? What's this?」
「え〜と、…………」
 答えられないウェイターをかわいそうに思ったのか、稲田君が助け船を出した。
「It's apple juice.」
「Oh, apple juice! I'll take it.」
「じゃあ、コーヒー1つとアップルジュース2つください」

 注文が済んだので、ほっと一息。しかし、ほっとしてられたのはつかの間だった。場面設定上、英語で話し続けなければならないのだ。今さら日本語をぺらぺら話すわけにはいかない。メニューのカタカナを片言で読んで、日本語の勉強をしています……、という設定で事を進めた。周囲の客が、こちらに注目しているのを感じた。気になったが、最後まで続けるしかなかった。辛かった。
 稲田君が代金を払って、3人は店を出た。
「ふぅ〜」
 これは、日本語だった。

【メモ】
◆古文に登場する「いたずら」は、「徒ら」。無益なさま、退屈だ、むなしい、などの意味がある。

◆漢字3文字で表記する県庁所在地は、全国に4ヶ所ある。栃木県の宇都宮、愛知県の名古屋、和歌山県の和歌山、鹿児島県の鹿児島。

◆名古屋市には、16の区がある。熱田区、北区、昭和区、千種区、天白区、中区、中川区、中村区、西区、東区、瑞穂区、緑区、港区、南区、名東区、守山区。

◆名古屋の名物、ういろう。漢字では、「外郎」と書く。主な原料は、米の粉。

◆「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」

◆名古屋城のシャチホコ、北側がオス。メスの方が、ウロコの枚数が多いのだそうだ。

◆江戸時代の正徳2年(1712年)、大凧に体を結び付けて名古屋城の金のシャチホコの鱗を盗んだといわれる盗っ人は、柿木金助。

◆電報を打つときの表現。「朝日」の「あ」。「名古屋」の「な」。

◆名古屋の方言で「やっとかめ」といったら、「久しぶり」ってこと。「八十日目」の意味だろう。

◆名鉄名古屋駅前のプロムナードのナナちゃんは、身長が5mもある。待ち合わせの場所として親しまれている人形だ。

◆2ヶ国語を話すのはバイリンガル。3ヶ国語を話すのは、トリリンガル。「bi-」は、2、両、双、複、2重などを表す接頭語。
   bicarbonate  重炭酸塩
   a bicameral system  (議会の)二院制
   bicycle  (2輪の)自転車
   biennial  ビエンナーレ(隔年の行事)
   bilingual  バイリンガル
   bimetal  バイメタル(2種の金属板を張り合わせたもの)
   bimonthly  月2回
   bivalve  2枚貝

◆『喫茶養生記』という本がある。臨済宗の開祖、栄西が書いた。彼は、宋から茶を持ち帰り、喫茶の風を広めたとされる。

◆1557年、オスマン・トルコの首都イスタンブールに、史上初の喫茶店がオープンした。店の名は「カフヴェ・カーネス」。ハケムとシェムスの2人が共同経営者。

◆トルコにコーヒーが伝わったのは、1517年。冷酷王と呼ばれている9代目のスルタン、セリム1世が、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたとき、そこから持ち帰った。


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