● 第五十六段 ● 「冊」から「巻」へ
長屋王の邸宅跡が見つかるきっかけとなったのは、デパートの建設。平城京がすぐ近くにある場所だったので、建設に先立ち発掘調査を行うことになったのだ。調査が始まったのが1986年、問題の木簡が発見されたのは1988年8月30日だった。発見された木簡の総数は、なんと10万点近く。その中に「長屋親王」の名前が書かれたものが見つかったわけだ。その場で、
「あ、『長屋親王』って書いてある!」
と分かるくらいのものだったらしい。1200年ほど経っているのに、墨ってすごいと思う。一度使った木簡は、用が終われば、表面を削って何度も使うそうだ。今で言えば、鉛筆で書いた文字を消しゴムで消して、紙を何度も使用することにあたる。そこまではできないなぁ。一昔前なら、裏が白い新聞広告を残しておいて、メモ用紙に使うなんてこともやっていたが、今はもうやめた。メモ用紙なんて、3年前に銀行でもらったものがまだある。そんなだから、木簡の再利用の話を聞くと、何だか考えこんでしまう。ショックだが、身についた習慣を変えるほどではない。
さて、木簡というのは、それほど面積が大きいものではない。だから、たくさんの内容を書き込むことはできない。小さい字で書けばよいのだが、それにも限度がある。
では、1枚の木簡に書き切れない内容の場合はどうするか。簡単、2枚に書けばよい。それでもだめなら、3枚・4枚……となる。
しかし、木簡がバラバラになると、困ってしまうので、ひもで結ぶことになる。できたものを想像してほしい。「冊」という漢字に似ているではないか! だから、書物を「1冊、2冊」と数える。「札」という漢字と同じ音読みになるが、これも関係あるのかどうか。
4・5枚ならいざ知らず、100枚、200枚の木簡をひもでつなぐと、かなり長いものになってしまう。だから、持ち運ぶときには、くるくると巻くことになる。書物を「1巻、2巻」と数えるのはここからきた。ただし、「巻」は、この漢字の性格上、長編のものが分けてあるとき、順番を表すために使われる。「冊」と「巻」の由来については、漢字に詳しい友人に聞いたものだ。本当かどうかは、知らない。
さて、木簡のことを考えていたら、心配が一つ生まれてきた。USBメモリやハードディスクに保存されている文書は、1200年もの長い年月に、消えることはないのだろうか。
【メモ】
◆「長屋親王」と書かれていた木簡は、長屋王の家に届けられた10束のアワビに付けられていた札だと推定されている。
◆平城京について、
「いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな」
と歌ったのは、伊勢大輔(いせのたいふ)。
◆710年、元明天皇は、都を藤原京から平城京に移した。そのときの年号は、「和銅」。
◆784年、恒武天皇は、都を平城京から長岡京に移した。そのときの年号は、「延暦」。
◆1770年に偶然ながら消しゴムを発見した、酸素の発見者としても有名なイギリスの化学者は、プリーストリ。
◆新潟県の中部には、巻町がある。
◆参考書のことを「虎の巻」と呼ぶことがあるが、中国の兵法書「六韜(りくとう)」の中の一巻。他に、「犬の巻」や「竜の巻」もある。
◆酔って同じことを何度も言う状態は、「管を巻く」。ひどく驚いたり、いたく感心するときは、「舌を巻く」。気持ちを引き締めるときには、「ねじを巻く」。
◆ギリシャ神話で、迷宮にひそむ怪物ミノタウルスを退治に向かうアテネの王子テセウスに、糸巻きの糸を伸ばして迷宮に入る方法を教えた王女は、アドリアーネ。
◆フロッピー・ディスクを発明した「日本のエジソン」といえば、中松義郎。「floppy」には、「蝶のようにパタパタとはためく」という意味がある。
◆「真知子巻き」は、ショールを頭から首に巻くファッション。昭和28年の松竹映画『君の名は』(原作は、菊田一夫)で、主人公真知子が見せたスタイル。彼女の苗字は、「氏家」。真智子と春樹が、数寄屋橋で出会ったシーンも有名だ。
◆東北地方によく見られる、女性が防寒用につける毛布の肩掛けは、「角巻(かくまき)」。
◆協奏曲集『四季』で有名な、イタリア・バロックの巨匠ビバルディの髪の毛は巻き毛だった。これが鮮やかな赤い色をしていたことから、彼のニックネームは、「赤毛の司祭」。彼はベニスで生まれている。ちなみに、日本初の洋楽スタイルの歌曲集『四季』を作曲したのは、滝廉太郎。
◆右巻きの蚊取線香を裏返すと、左巻きになる。実験してみないと、納得できないけど……。