・ 第五十八段の一 ・ 稲田君の逆襲
(この段は、第五十八段からの続きです)
稲田君は、執念深い。
「確か、一万円札には35ヶ所の『NIPPON GINKO』があるっていったよね」
その通りだ。ふつうは裏に大きく1ヶ所しか見つからないのだが、実際には35ヶ所ある。ルーペを使わないと見えないほどの小さな小さな文字「マイクロ文字」で、表面に8ヶ所、裏面に26ヶ所印刷されている。そんな小さな文字が印刷されていることを知らなかった稲田君を、以前にぎゃふんと言わせたことがあった。話の始めからこんな確認モードで入るなんて、そのお返しかもしれない。
「そんな話はしてたね」
「いや、35ヶ所だと言っていた」
「それがなに?」
「だったら、これを見よ!」
と、彼は一万円札を差し出した。
「これが、どうかしたの?」
「よく見てみろ。小さい『NIPPON GINKO』があるか?」
「……あれ、ないよ! どうして?」
「ハハハ、どうだ、まいったか!」
絵にかいたような「ハハハ」だった。一通りの「ハハハ」が終わったあと、彼は説明を始めた。
「この『NIPPON GINKO』の小さな文字は、新しいタイプにしかないんだ」
「新しいタイプ?」
「やっぱり知らなかったんだな。1年前、君に35ヶ所の『NIPPON GINKO』のことを教わったから、僕も誰かを驚かせてやろうと思って、何人かに教えてやったんだ。そしたら、その中の一人が、『そんなの見つからない』っていうんだ。『そんなことはない。よく探してみろ』って、僕は、何度も何度も言ってやった。自信を持って大声でね」
「彼の一万円札には、35ヶ所の『NIPPON GINKO』が本当になかったんだね」
「そうだ。実際は彼じゃなくて彼女なんだけど……。そんなことはどうでもいい。どうしてくれるんだ。星田君のおかげで、彼女に大恥かいたんだぞ!」
「そう言われても……、違うタイプのお札があるなんて知らなかったんだ」
「あのね、マイクロ文字が印刷されているのは、1993年の12月1日以降発行の一万円札からなんだ。お札の番号が茶色だから、すぐわかるよ。今、星田君に見せたのは、それ以前に発行された、番号が黒色のものだ」
「へぇ、そうなの」
「このマイクロ文字は、偽札を作りにくするためのもので、コピー機や通常の印刷機では表現できないんだ。何しろ、縦が0.25mmだからね。ついでにいうと、番号が青色の千円札や番号が黒色の五千円札にも、マイクロ文字は印刷されていないんだ」
「それって、調べたの?」
「もちろん。恥のかきっぱなしじゃ辛いんで、イメージを新札しようと思ってね」
「『新札』? 『刷新』でしょ」
【メモ】
◆稲田君は、ほかにも1万円札について教えてくれた。
まずは、特殊発行インキ。これも93年12月1日以降に発行された紙幣に採用されている。札の表の「総裁之印」と篆書(てんしょ)体で書かれた印章の部分は、紫外線を当てるとオレンジ色に光る。自宅に日焼用けの紫外線ランプがあるという方は、実験してみるといい。
◆超細密画線。福沢諭吉の目元などは、1mmの間に、最大11本の線が引かれている。これもコピー機などでは再現不可能。
◆凹版印刷。手で触ってみるとわかるが、「壱万円」の文字や肖像画は、インキが盛り上がるような印刷がされている。
◆すかし。マニラ麻やミツマタを使い、独特の手触り感を出している。点字の「ウ」を表す識別マークも、すかしの技法が使われている。
◆1μm(マイクロメートル)は、1mの100万分の1。同じく100万分の1mを表す単位に、μ(ミクロン)があるが、これは、1967年の国際度量衡委員会で廃止された。ずいぶん前の話だ。
◆確認モードの稲田君のために、「確認」ついていくつか調べてみた。
国家の代表が署名した条約について、国家の最終的な確認・同意のことを、「批准」という。日本では、内閣が国会の承認を得て行なう。
◆財産を売買するときに、その契約が成立したことを確認するため、売り手から買い手へ与える証文を「沽券(こけん)」という。「沽券に関わる」の「沽券」がこれ。
◆海外旅行に行ったら、帰国便の出発する72時間前までに、予約を再確認する必要がある。これを「リコンファーム」という。
◆F1グランプリの決勝レースなどの開始直前にサーキットを一周し、コース状態の安全を確認する車は「マーシャルカー」。
◆■ UFO ■
unidentified flying object の略。未確認飛行物体。アメリカの軍人、エドワード・J・ルッベルト大尉の造語。目撃者はいるが、その存在が科学的に立証されていないものをいう。
◆ヒマラヤ山中に生息するという雪男のような、謎の未確認動物のことをUMA(ユーマ)という。
◆イギリスの探検家スコットは、ノルウェーのアムンゼン隊に35日遅れて、南極点にたどりついた。彼は、一番手になりそこねてしまった。
◆高等学校における1単位とは、50分間の授業を1学年35回行なうものとして計算している。
◆ショベルカーは時速35kmしかスピードがでないので、スピードメーターはついていない。
◆コアラの妊娠期間は、約35日。短い!
◆「35」といえば、そうそう、マラソンの日本最高記録があった。1986年の北京マラソンで児玉泰介がマークしたのが2時間7分35秒――だったのだが、これも昔の話。
1999年9月26日に行われたベルリン・マラソンで、犬伏孝行が2時間6分57秒の日本最高記録を樹立し(世界歴代6位)、2位に入ったのだ。
犬伏孝行や児玉泰介のように、マラソンで2時間10分を切るタイムで完走した走者は「サブテン・ランナー」と呼ばれている。
児玉のように2時間7分台で走った日本人選手となると数はすくなく、彼のほかに谷口浩美らあと2選手。2時間8分台には中山竹通、瀬古利彦ら6選手がおり、このあたりまでが、世界でもトップを争った「スーパーサブテン・ランナー」と言えるところだろう。
マラソン男子日本歴代10傑(2000年12月3日現在)
時 分 秒 名前 年 大会
2 06 51 藤田敦史 00.12 福岡
2 06 57 犬伏孝行 99 ベルリン
2 07 35 児玉泰介 86 北京
2 07 40 谷口浩美 88 北京
2 07 57 伊藤国光 86 北京
2 08 05 三木 弘 99 東京
2 08 07 早田俊幸 97 福岡
2 08 15 中山竹通 85 W杯広島
2 08 27 瀬古利彦 86 シカゴ
2 08 43 小島宗幸 98 琵琶湖
2 08 47 佐保 希 97 福岡
◆「たいまつは新しい合衆国民に引き継がれた」と、1961年の大統領就任式で演説したアメリカの第35代大統領は、J.F.ケネディ。
◆1937年に35代横綱となったのは、立浪部屋の双葉山定次(1912〜68)。彼は、1936年春場所7日目瓊ノ浦(たまのうら)に勝ってから、39年春場所4日目安芸ノ海に敗れるまで、69連勝の偉業を達成した。本名は龝吉(あきよし)定次。
◆もし、偽札を見つけたら、警察に届けること。しかし、そのお札は証拠物件となり、戻ってはこない。
「だったら、損しちゃうじゃないか!」
なんてことがないように、1977年から、偽札発見の「協力謝金制度」が設けられている。被害金額の全部または一部は、補填されるそうだ。
◆使うのが目的で偽造した場合は、無期または3年以上の懲役。渡した場合も同様の懲役。使う目的で受け取った場合は、3年以下の懲役。
◆しかし、どこまで似ていたら「偽札」なのだろう。たとえば、一万円札と同じ大きさの紙に、大きく「壱万円」と書いても、多分これは偽札ではない。どこかのお店で使ったところで、笑って突っ返されるのがオチだ。
◆観光地の土産物屋で、「壱億円札」を見たことがある。かなりでかかった。大幅にディスカウントされて、たったの数百円で売られていたが、買わなかった。あれは、偽札になるのか?
【参考文献】
・日本銀行券 虎の巻 (日本銀行発券局パンフレット)
[感想が届いています] 1