★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第七十八段 ●  人の噂も七十五日

「稲田君、喜んでくれ! やっとわかったんだよ」
「何が?」
「『人の噂も七十五日』って言うだろ、なぜ七十五日なのかがようやくわかったんだ」
「変なことを悩んでたんだね。でも、どうして七十五日なの?」
「それはね……、五行思想に関係があるんだ」
「五行思想?」
「そう。古代中国にはね、五行思想と呼ばれるものがあって、この世の森羅万象はすべて5つの要素でできていると考えられていたんだ」
「その要素って?」
「木、火、土、金、水の5つだよ。さらにね、それぞれの要素は色に対応しているんだ。木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は黒。同じ考えで、方角や、季節にも5つの色が対応しているんだ」
「へぇ、じゃあ、聞くけど、夏や冬は何色?」
「夏は赤、冬は黒だよ。ついでにいうと、春は青、秋は白だよ。だから、青春とか朱夏、白秋って言葉があるだろ」
「ふうん。じゃあ、方角は?」
「こんな感じだよ」
 と、さらさらっと紙に書いてくれた。

  東……青  南……赤  西……白  北……黒

「なるほどね」
「大相撲で、赤房とか白房とか言ってるだろ。あれも、この方角の色に対応してるんだよ」
「へぇ。でも、黄色がないね」
「黄色? ああ、それは中央が黄色ってことになってんだ」
「季節にも5つの色が対応しているって言ったよね」
「季節の色は、さっき言ったぞ」
「いやいや、季節は4つしかないと思ってね」
「それそれ! それなんだよ。そこが『人の噂』のポイントなんだ」
「ポイント?」
「そう。実はね……、季節は5つあるんだ」
「まさか……」
「いや本当だよ。『土用』っていう季節があるんだ」
「『土曜』?」
「ほら、『土用波』とか『土用の丑(うし)』とかいうだろ」
「あの土用か……。でも土用って、夏じゃないの?」
「全然違うよ。土用っていうのは、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間のことでね、春夏秋冬のどの季節にも属さないとされてるんだ」
「年に4回あるんだね」
「そうそう。で、4つの土用の期間を合わせると、だいたいほかの季節と同じくらいの長さになるんだ」
「それで、土用が黄色に対応しているんだね」
「その通りだよ、稲田君。そこで、『人の噂も七十五日』なんだ」
「どうして?」
「あれ〜、ことわざの意味わかってんの?」
「わかってるよ。中には根も葉もない噂もあるからね。それが自分に関する悪い噂だと本当に閉口してしまうよ。でも、『辛抱、辛抱。人の噂も七十五日っていうから、すぐに消えてしまうよ』ってことだろ」
「そうそう。だから、どうして七十五日なのかってことだよ」
「なるほど、七十五日とかなり具体的な数字だからね。何か根拠があるのではないかと疑っていたんだね」
「その通り。で、話の続きだ。季節は5つあるんだ。だったら、一つの季節の期間は、  365÷5=73
 73日ということになる。ほら、75に近いだろ。このことわざの七十五日っていうのは、漠然とした期間じゃなくて『一つの季節』という意味だったんじゃないかな?」
「いい視点だね」
「だろ」
「でも、そうなら、『人の噂も七十三日』のはずだ。2日足りないね」
「稲田君は厳しいね」
「もしかしたら、季節によって、期間の長短があるのかもしれない。詳しく調べてみようか」
 と言って、稲田君は1999年の理科年表を取り出した。

  土用の入り 1月17日
  立春    2月4日
  土用の入り 4月17日
  立夏    5月 6日
  土用の入り 7月20日
  立秋    8月8日
  土用の入り 10月21日
  立冬    11月 8日

「このデータから、季節ごとの日数を数えてみると、こうなるね」

  春……72日 夏……75日 秋……74日 冬……70日 土用……74日

「すごいよ、稲田君。75日になる季節もあるんだね」
「太陽の運行という、なにぶん自然任せのところがあるから、季節の長さは毎年こうなるということではないと思うけどね」
「ま、でも、土用という『季節』を考えると、各季節の期間は70〜75日間程度になるんだ。一つの季節がこれくらいの期間になるということは、江戸時代の人は経験的に知っていたと思うよ」
「なんだか民俗学者みたいだね」
「『人の噂も七十五日』っていうのは、『人の噂も一季節』ってことなんだよ、稲田君」
「どうかな……、そういう噂もあるってくらいじゃないの?」

【メモ】
◆大相撲では、土俵のつり屋根の四隅に、青房・赤房・白房・黒房が垂れ下がっている。
「青房下に両者倒れ込みました!」
などと言っている。
 これらの房は、柱の代わり。昔は、土俵の周りに柱が立っていたのだ。柱があっては、客が観戦しにくいので、1952年9月に房に変えられたというわけ。
  青房……北東  赤房……南東  白房……南西  黒房……北西。

◆五行思想なんて、知らない人の方が多いだろう。しかし、日本人の生活の中には、ところどころにこの5色が残っている。
 たとえば、五月の鯉のぼり。鯉と一緒に吹き流しが泳いでいるのをよく見かけるが、あの吹き流しに使われている5色が、青・赤・黄・白・黒だ(そうじゃないものもあるけれど……)。
 さらに、唱歌『たなばた』の中で
「五色の短冊、私が書いた」
と歌われているが、この5色も同じことだ。
 ほかにも注意して1年間の生活を過ごせば、この5色が見つかるかもしれない。

◆東京の山手線には、目白駅と目黒駅がある――なんてことくらいは、東京に住んでいる人はご存じのこと。目黒は、お不動さんのある町として有名で、縁日の日などには人でごった返す。
 ところがだ。実は、目白にもお不動さんがあるのだ。それどころか、目青、目赤、目黄のお不動さんも存在し、江戸時代から進行されているのだ。

  目黒……目黒区  金乗院
  目白……豊島区  滝泉寺
  目青……世田谷区 最勝寺
  目赤……文京区  南宮寺
  目黄……江戸川区 最勝寺

◆ブルース・ウィルスが主演のSF映画に『フィフス・エレメント』がある。
 人類の滅亡を防ぐためには、どうしても5つ目の要素が必要になるのだが、風、火、土、水に続く5番目の要素とは、――愛だった。

◆噂は、噂をされている当人がその場にいないことが必要条件になる。

◆「人の噂も七十五日」というのは、「噂というものは七十五日も続くのだ」という風にも理解できる。そう考えると、けっこう長いぞ。

◆世間に流布する噂の量、さらに、噂が伝わる速度や廃れる速度が、江戸時代と現在とではかなり違う。だから、今では噂の持続期間は、七十五日もないと考えられる。それならどれくらいか? 人の噂も七十五時間?

◆噂をすれば影。Speak of the devil and he will appear.

◆2・3人で話をしていて、その場にいない人のことが話題に登ると、
「あいつ、今頃、くしゃみしているぞ!」
「いや、ひょっこり、現れるかもしれないな」
などと、勝手な会話をすることがある。しかし、大抵の場合、当の本人は現れもしないし、彼はくしゃみもしていない。

◆しかし、噂をしている最中に、くしゃみをしながら現れた友人もいた。

◆噂をしたあと、その当人のくしゃみの有無を確認するのは、それほどむずかしいことではない。さんざん噂をしたあとに、当人に確認してみればよい。しかし、逆に、自分がくしゃみをしたときに、誰かが自分の噂をしていたのかどうかを確認するのは、非常にむずかしい。

◆流言、虚偽の宣伝、根拠のない噂を「デマ」というが、これは「デマゴギー」というドイツ語の略だ。
 古代ギリシアでは、民衆の指導者、転じて民衆を扇動する政治家を「デマゴゴス」と呼んでいたが、デマゴゴスによる民衆操縦のための宣伝・扇動が「デマ」の原義だ。これはデマではない。

◆ほかにも「七十五日」が登場する言葉がある。「初物七十五日」だ。これは、初物を食べると寿命が七十五日延びるということ。
 現在のようなビニールハウスでの野菜の栽培や魚の養殖のなかったころ、食べるものといえば、まさに季節に左右されていた。だから、初物を食べると、その季節の日数の分だけ長生きできるという発想なんだと思う。七十五日という日数が、昔の人々の生活に密着していたことが分かる。
 食べ物に「旬」というものがなくなって、我々は長生きするチャンスを失ったのかもしれない。

◆中国地方のことわざに、「七十五日は金の手洗い」といものがある。嫁や養子に行っても、75日は大切に扱われるということだそうだ。

◆長野県の諏訪大社で行われる神事のときには、本殿に75の樽と75の鹿の頭など、75個揃えたものを捧げるという風習があるそうだ。

◆自衛隊の隊列行進で、男性の歩幅は75cmと決まっているのだそうだ。

◆警察庁に一旦保存された指紋が破棄処分されるのは、その人が満75歳になったとき。

◆仕事率の単位に「馬力」がある。1馬力とは、75kg・m/s。つまり、質量75kgの物体を1秒間に1m動かすことができるってこと。

◆JRA、日本中央競馬界では、1レースの売り上げ金の75%が配当に還元される。


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