★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第八十三段 ●  シャクだぜ!

 大相撲の土俵の直径は、4.55m。どうしてこんな中途半端な長さなのかとずっと思っていたのだが、あることに気がついて計算してみたら、きれいな長さに換算された。
 あることというのは、尺。1尺は、30.303cmなので、土俵の直径は15尺ということになる。すっきりした。
 土俵は、尺を単位にして作られているのだ。当然といえば当然だ。しかし、このことを聞いて感心してしまう我々は、それだけメートル法に慣れてしまっているということかな?
 そんなきっかけで、改めて「尺」について調べてみた。そして、驚いた。こんなにたくさんの尺の種類があるとは……。
「尺」というのは、象形文字。親指と人差し指を広げて物にあてている形を表している。しかし、自分の手を思いっきり広げて見ても、30cmにはほど遠い。おかしい。
 もともと1尺は、「手を広げたときの親指から人さし指までの長さ」として、中国の殷の時代に定められたようだ。このときの1尺は今の6寸くらいだったのに、それから以降だんだん1尺が伸びてきた。といっても、人間の手が大きくなったわけではない。時の権力者が勝手に少しずつ伸ばしていったのだ。そうすれば、それだけ多くの反物を納めさせることができるからだ。
 このように尺は、時代や地域、用途によってその長さが少しずつ異なっている。もっとも、周の時代の曲尺(かねじゃく)は、土木建築用としてほとんど変化がなく今日に伝承されているというから、これは驚いてもいいことだと思う。
 隋の時代になると、今の約8寸の小尺とそれより2寸長い大尺が公定された。小尺は公式用で、大尺は土木建築用だった。これが、701年の大宝律令で日本にも導入された。しかし、小尺はやがて日本でも中国でも使用されなくなり、曲尺が主流となる。
 大宝律令以後の尺の推移についてはよくわかっていないが、鎌倉時代に記された目盛りから判断すると、奈良時代から鎌倉時代までに1尺が3/100尺(3分、約9mm)ほど伸びている。あまり変化していないと言ってもいいと思う。
 江戸時代には、特に尺についての規制はなかった。だから幕末には、同じ「曲尺」という名前で呼ばれていても、その尺の長さに違いがあった。代表的なものに、下の3つがある。

・享保尺(竹尺)
 徳川吉宗が享保年間に制定した尺。紀伊の熊野神社にあった古い尺をもとに作ったといわれている。天文観測用。

・又四郎尺(鉄尺)
 大工用の尺。江戸時代末期まで使われていた。京都の又四郎という人がはじめに作ったので、この名がある。享保尺の1尺4厘が1尺に当たる。

・折衷尺
 享保尺の1尺と又四郎尺の1尺を平均して長さを1尺とした。伊能忠敬(1745〜1818)が全国を測量するにあたり、当時もっと普及していた享保尺と又四郎尺の長さを「折衷」したとされる。

 明治政府は、1874年、「折衷尺の尺」を「曲尺の尺」として採用する。これが今日に至っている尺だ。しかし、メートル法の波が訪れ、曲尺もだんだんとその影が薄くなっていく。1891年には、度量衡法が制定される。この法律で、メートル原器を基準として、1尺が10/33mと定義される。このときは「メートル法も使っていいよ」ということで、実質上、日本の長さの単位の基本は尺であった。そのあたりの流れを整理してみよう。

  1874 折衷尺を原尺として採用する
  1885 日本がメートル条約に加入する
  1889 第1回国際度量衡総会(メートル原器が承認される)
  1891 度量衡法の制定(尺貫法の確立、メートル法の公認)
  1909 ヤード・ポンド法の公認
  1921 度量衡法の改正(メートル法の採用)
     抵抗運動が起こり、実施の延期が続く
  1958 尺貫法の廃止
  1959 メートル法に統一

 一時的に尺、メートル、ヤードのどれを使ってもよいという混乱の時期もあったが、結局はメートル法に落ち着くことになる。現在では取引・証明上の計量に尺を使ってはならないことになっている。


【メモ】

◆尺、尻、尾、局、届などの漢字の部首は、「尸」。「しかばね」という。

◆大宝律令が制定されるまでにも、尺はあった。朝鮮半島から伝わっていた高麗(こま)尺だ。1尺2寸が1尺にあたる。

◆ほかにも、
・念仏尺……明治まで裁縫・雑貨用として使われていた尺。近江国の伊吹山から掘り出された念仏塔婆に刻まれていた尺に由来するといわれている。
・文尺………江戸時代、足袋の大きさを測るために使われた定規。
・菊尺………菊の寸法をはかるための定規。江戸時代に菊の愛好家がつくった。曲尺の6寸に相当する。
・呉服尺……室町時代以降使われた和裁用の物差し。今の1尺2寸を1尺とした。
・鯨尺………江戸時代から民間で用いられた和裁用の物差し。鯨のひげで作られている。

◆尺貫法は廃止されたが、建築関係の製品の規格は、実質上曲尺によっている。
 一般的に「尺」といえば、曲尺の尺。1891年(明治24)に制定された度量衡法で、実行上10/33mと定められた。つまり、約30.303cm。
 一方、現在でも和裁などでは鯨尺という「尺」が用いられている。これは、曲尺の尺の1.25倍の長さに当たる。簡単に言えば、鯨尺の1尺は、曲尺の1尺より4分の1だけ長い。これは、25/66m、約37.88cmになる。

◆『アルプス1万尺』という歌があるが、1万尺は約3030m。アルプスの高さに合っている。3030mという表現より、1万尺と表した方が、山が高く感じられる。

◆尺八の長さは、1尺8寸が標準。だから、「尺八」。中国の唐の時代の小尺の1尺8寸(約43.7cm)に由来する。指で押さえる穴は、ふつう5個。琴古(きんこ)流、都山(とざん)流などの流派がある。

◆「尺五の掛軸」も同様。1尺5寸の長さの掛軸のことだ。

◆「尺牘(しゃくとく)」とは、1尺の木札という意味。これは、手紙を意味する。

◆尺貫法では、1間(けん)は6尺。これが、畳の長辺の長さの基本になっている。それとは別に、「五八間」と呼ばれる畳の単位もある。これは、長辺が5尺8寸の畳のこと。江戸間とも呼ばれる。

◆ちなみに、
  1厘=10毛,1分=10厘,1寸=10分,1尺=10寸,1丈=10尺
  1間=6尺,1町=60間,1里=36町

◆「百尺竿頭一歩を進める」。最善を尽くしたあと、さらに工夫をこらすことをいう。百尺竿頭とは、長い長いさおの先のこと。

◆「これがまあ ついの住み家か 雪五尺」は、小林一茶の句。五尺だから約1.5mの積雪だ。しかし、これを「雪1.5m」と歌っては、情緒がない。

◆先生への礼節は大切にしよう。「三尺下がって師の影を踏まず」。これを「90cm下がって……」と言っては、雰囲気が出ない。


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