● 第百五段 ● エルニーニョの基礎知識
「そこでだ、稲田君。『エルニーニョ』って何かということなんだけど……」
「エルニーニョ? 簡単にいうとね、太平洋東部赤道付近、ま、ペルー沖ってよく言われるけど、この海域の海水温が、平年より異常に上昇することをいうんだ。それにより、世界的な異常気象やアンチョビ(カタクチイワシの一種)の不漁なんかをもたらすんだ」
「いやいや、天気のニュースなんかでよくそんなことを聞くけど、そうじゃなくて、『エルニーニョ』って何なのよ?」
「『エルニーニョ』自身が知りたいの?」
「そう」
「相変わらず変な奴だなぁ。『ニーニョ』っていうのは、スペイン語で『男の子』っていう意味。で、『エル』ってのは、スペイン語の定冠詞。英語でいえば the だね」
「『その男の子』というと……」
「つまり『神の子』ってことだね。イエス・キリストをさしているんだ」
「ふーん。それで、どうしてペルー沖の温度上昇が『エルニーニョ』なの? キリストが異常気象を起こすなんておかしいんじゃないの?」
「おお、さすがだ。これは本格的に話をする必要がありそうだ。実は、さっき話したのはエルニーニョじゃないんだ」
「おいおい、じゃあ、何なんだよ」
「『エルニーニョ現象』っていうんだ」
「わかんないな」
「つまりね、エルニーニョとエルニーニョ現象は違うんだ……」
その後、稲田君に両者の説明をしてもらった。
まずは、エルニーニョ。
実は、ペルーやエクアドルの沿岸沖では、毎年(彼は「毎年」を強調していた)クリスマスの頃になると海面の水温が2〜3度上昇する。この海面水温の上昇は、恵みの雨をもたらすし、やってくるのがクリスマスの頃だから、「神の子」と呼ばれている。やはり、地元での「エルニーニョ」は、良い意味で使われている言葉なのである。
しかし、このような水温の上昇が、沿岸沖だけでなく、日付変更線にかけての太平洋東部赤道付近の広い海域で、2〜7年おきに、1年以上にわたって続くことがあるのだ。こうなってくると、地球上に大規模な空気の流れの変化が生まれ、世界的な異常気象が起こってくる。
「そこでこのような異常現象を『エルニーニョ現象』として、本来の『エルニーニョ』とは区別して呼んでいるんだ」
「よ〜く、わかった。でも、どうも世間では、エルニーニョ現象ばかりクローズアップされて、本来のエルニーニョについては知られてないような気がするのだけど……」
「うん、でも、いいんだよ。『天はニ物を与えず』っていうじゃない」
「それは、ちょっと違うんじゃないかな〜」
【メモ】
◆子ども用の半纏(はんてん)に「亀の子半纏」がある。「神の子」ではない。亀の甲の形に仕立てた袖なしの防寒衣だ。
◆ツチノコは、その体形が藁(わら)を打つ槌(つち)に似ていることに由来する――とされているのだが、果たして本当にいるのやらどうやら……。
◆江戸と京都を対比させた言葉に、「江戸紫に京鹿の子(きょうがのこ)」がある。「京鹿の子」とは、京都で染めた鹿の子しぼりのこと。似たような言葉に、「江戸べらぼうに京どすえ」もある。
◆編み物の棒針編みで、表編みと裏編みを交互に繰り返した模様編みを、「鹿の子編み」という。
◆大切にしている物、手放せない物を、「虎の子」という。京都市右京区の竜安寺(りょうあんじ)は、「虎の子渡し」と呼ばれる石組みの石庭で知られている。
◆昭和30年代「黄色いダイヤ」と呼ばれた食品は、数の子。昭和20年代「黒いダイヤ」と呼ばれたのは、石炭。
◆北海道名産の松前漬は、するめ、昆布、ダイコンなどに数の子を加え、みりんを合わせた醤油で漬けたものだ。別名をソーラン漬けともいう。
◆ちりじりばらばらに逃げる様子は、「蜘蛛の子を散らす」と表現される。
◆人が込み合っている状況を「芋の子を洗う様だ」というが、この芋とはサトイモ。
◆「御茶の子さいさい」の「御茶の子」とは、茶菓子のこと。
◆「蛙の子は蛙」、「蝮の子は蝮」、「鳶の子は鷹にならず」、「瓜の蔓(つる)には茄子(なすび)はならぬ」。
◆「商人(あきんど)の子は算盤(そろばん)の音で目を覚ます」と言われている。それに対して、「武士は轡(くつわ)の音で目を覚ます」。
◆中国残留孤児が戦後の時代の中で成長していく姿を描いた、山崎豊子作の長編小説は、『大地の子』。1995年にはNHKによりテレビドラマ化もされた。
◆エルニーニョ現象が起こる
→アンチョビが減る
→アンチョビを食べる海鳥が減る
→海鳥の糞が減る→グアノが減る
「グアノ」とは、海鳥の糞が堆積して固まったもので、主に肥料として利用される。南米の太平洋沿岸の国にとっては、重要な産業資源だ。
◆エルニーニョ現象が起こる
→アンチョビの漁獲量が減る
→飼料に使うアンチョビの魚粉が不足
→代わりにアメリカ大豆が使われる
→日本への大豆の輸出が減る
→豆腐の値が上がる。
このようなことが、1972年のエルニーニョ現象で実際に起こった。◆ベラスケス、ゴヤに先立つスペインの代表的画家に、エル・グレコ(El Greco)がいる。この「エル」も定冠詞だ。「ギリシャ人」という意味の「エル・グレコ」はもちろん通称で、本名はドメニコス・テオトコプロス。奔放で神秘的・怪奇的な画風の宗教画・肖像画で知られている。倉敷の大原美術館には、彼の『受胎告知』がある。
◆スペイン語で「救世主」を意味する国は、エルサルバドル(EL Salvador)。中央アメリカにありながら、唯一カリブ海に面していない。1841年にスペインから独立している。首都はサンサルバドル、通貨単位はコロン。
◆西インド諸島に、サンサルバドル島という島があるが、こちらはバハマの領土。1492年に、コロンブスが上陸したといわれている島だ。
◆エル・ドラド(El Dorado)は、伝説上の黄金の都市。16世紀ごろ、スペインの探検家たちが、南米にあると信じて探していた。
◆エル・パソ(El Paso)は、アメリカ合衆国テキサス州最西端の都市。リオ・グランデ川をはさんで、対岸はメキシコだ。アメリカとメキシコの文化が混じり合う町で、観光や貿易面でもメキシコ北部への玄関口となっている。住民の7割近くが、スペイン語を話している。
◆「女の子」という意味の「ラニーニャ」という現象もある。こちらは、赤道近くの東部太平洋で、海面水温が異常に低くなる現象だ。
◆異常、異常というが、どれくらいなら異常なのか?
過去30年のデータから、平均値や標準偏差を求める。その年の状況が、平均値から標準偏差2つ分以上の差があれば異常とされる――と、ラジオの天気予報で言っていた。標準偏差とは何かという話はまたいつか。