● 第百三十一段 ● 俺たちに「明日」はない!
「杉野君、ちょっと教えてくれない?」
杉野君は、コンピュータにも詳しい。
「表計算のソフトを使ってるんだけど、『絶対番地』とか『相対番地』なんて用語が出てきたんだ。これって何?」
「そのソフトはどれくらい使ってます?」
「ずいぶん前のヴァージョンから使ってるから、かれこれ10年くらいかな」
「その間に『絶対番地』とか使うことなかったですか?」
「なかったんだな、これが」
「『番地』っていうのは、わかりますね」
「5895番地」
「それは御自宅の番地ですね。で、その番地が絶対番地なんです」
「よくわからんな」
「今朝ね、僕が職場にきたら、机の上にメモが置いてあったんです」
「もしかして、もう『絶対番地』の説明に入っているの?」
「そうです。で、そのメモにはこう書いてあったんです。『明日、連絡してください』って。で、困ってしまって……」
「ああ、名前が書いてなかったんだね」
「いえ、もちろん、名前は書いてありました」
「じゃあ、何を困ったの? 明日、連絡すればいいんじゃないの?」
「僕は昨日一日出張に行っていて、職場には行かなかったんです」
「だから?」
「だから、このメモは、昨日置かれたものかもしれないんです」
「そうか、そうすると、その『明日』は今日ということになるね」
「やっとわかっていただけましたか」
「何が?」
「何がって、これが『相対』なんですよ」
「?」
「『明日』という言葉は、『今日』を基準にした相対的な言葉なんです。だから、『今日』が動くと『明日』も動く」
「なるほど、じゃあ、メモを確実なものにするためには、『○月○日に連絡をください』とすればよかったのか」
「そうです。で、それが『絶対』日付なんです」
「で、『絶対番地』とは?」
「場所を表すのにも、絶対的な表し方と相対的な表し方があるんです」
「たとえば?」
「『コンビニのとなり』なんて言い方は、そのコンビニが移動しちゃうとその場所まで変わってしまうでしょ、だから相対的な表現なんです」
「コンビニが移動するなんてことは滅多になさそうだけど、言いたいことはわかったよ。つまり表計算ソフトでも、『○○のとなり』式の相対的な表現と「5895番地」のような絶対的な表現があるってことだね」
「そうです。ところが、我々の日常生活では、両者をとっても上手に使い分けているものだから、改めて言われると混乱するわけです」
■ 相対 ■
向き合っていること。他のものとの関係で成り立つこと。唯一独立でなく、他のものとの関係によって存在すること。
■ 絶対 ■
並ぶものがなく、なにものにも比べられないこと。哲学で、何の制限・制約も受けず、一切の条件を超越して完全に独立して存在しうる実在のこと。
「うちに子どもができてから、義理の『おとうさん』が急に『おじいちゃん』になっちゃったんだけど、これも相対的表現と言っていいのかな」
「……、いいと思いますよ」
【メモ】
◆「本日にかぎり、ビデオレンタル 1本につき100円引き!」
というチラシが入っていたが、日付が書かれてなかった。つまり、このビデオレンタルの店は、毎日が100円引きのサービスデーとみえる。
◆以上のことを教訓に、他人にメモを残すときには、
「本日、○月○日、連絡ください」
とすることにしている。
◆「絶対〜する」という表現は、副詞と語尾が呼応していないので気持ちが悪い。しかし、よく聞く表現なので、以前ほど気持ち悪く思わなくなってきている。――というのも、気に入らない。
ところが、「絶対〜する」という表現は、明治の頃には「あった」のだそうな。
◆「ぜったいぜつめい」を「絶対絶命」と書くのは誤り。正しくは「絶体絶命」。
◆山口百恵のヒット曲に『絶体絶命』がある。
◆全体のほとんど全部を占める数を「絶対多数」という。採決などのときに使う言葉だ。
◆音の高さを他の音との相対的な音程的関係なしに知覚する能力は、「絶対音感」。ベストセラー『絶対音感』の著者は、最相葉月。
◆イエス・キリストが主張した「神の絶対愛」のことを「アガペー」という。
◆「朕は国家なり」と称し、フランス絶対主義の最盛期を現出した王は、ルイ14世。
◆■ ボシュエ ■
1627〜1704、フランスのルイ14世時代の代表的な神学者。「国王の支配権は、王の祖先が神から直接に授けられたものだから、失政の場合も国民に対する責任はない」とする「王権神授説」を唱え、フランスの絶対王政を擁護した。
◆■ 絶対温度 ■
物理学的に考えられる最低の温度(摂氏−273.15度)を0度とし、1度の間隔を摂氏と同じにした温度。単位は「ケルビン」、記号はK。
◆「絶対屈折率」というのもある。光が真空中から媒質中へ入射するときの屈折率だ。
◆中学校1年の数学では、「絶対値」というものを学習する。ある実数xがあって、数直線上で原点からの距離を「xの絶対値」といい、|x|で表す。absolute value。
たとえば、+3も−3も絶対値は3だ。
◆映画『ローマの休日』の最後の場面で、オードリー扮する王女が、
「Absolutely Roma.(絶対にローマですわ)」
と、答えるシーンが大好きだ。
◆アインシュタインは、1921年にノーベル物理学賞を受けているが、これは彼の相対性理論の業績に対するものではなく、光電効果の研究に対するものだった。
◆相対性理論については、★雑木話★では、深くは扱わない。絶対に!