● 第百五十六段 ● 北極のおいしい水
「稲田君、きのう、やっと見たんだ!」
「えっ、何を」
「あれだよ。『タイタニック』だよ」
「映画の? 今頃?」
「そ、今頃。稲田君は見たの?」
「もちろん。そもそも、タイタニック号ってのは、イギリスのホワイトスター会社が、1912年に建造した豪華客船なんだ。長さ269m、幅28m、総トン数は4万6329トン。この船は姉妹船オリンピック号とともに初めて4万トンを超えた巨大船でね、この船に海難などは起こり得ないと考えられていたんだ。しかし、イギリスのサザンプトンからニューヨークへ向かう処女航海の途中、1912年4月14日深夜、ニューファンドランド沖で氷山に衝突。約3時間後に沈没。2201名の乗船者のうち1490名(1513名ともいわれている)が死亡し、世界に衝撃を与えた……」
「ちょっと待って、待って。すごいね、稲田君は……」
「タイタニックは何度も見てるからね。よかっただろ、映画」
「迫力があったね。でも、そんなにたくさんの人が亡くなったなんて知らなかったな」
「タイタニックのような巨大な船が沈没するなどということはありえないという思いこみからか、旅客・乗組員数に比べて救命艇の数が絶対的に不足していたんだ。それと、衝突破口からの浸水を一部に止めることができなかったこと、霧中の安全航法が不十分であったことなどがこのような惨事につながってしまったようだよ」
「映画でもそんなふうに描かれていたね」
「しかしね〜、1997年度のアカデミー賞11部門を受賞した映画を今頃見てるとは……」
「いいじゃないか、別に。じゃあ、稲田君はその11部門を言える?」
「あ、言えないと思ってるな。よし、行くぞ。
作品賞
監督賞
美術賞
撮影賞
衣装デザイン賞
編集賞
作曲賞(ドラマ部門)
オリジナル歌曲賞
音響賞
音響効果賞
視覚効果賞
の11部門だよ。参ったか」
「参ったよ。参ったから、稲田君、もう一つ教えてよ」
「何?」
「タイタニック号は氷山にぶつかって沈没したとされてるけど、流氷と氷山って違うの?」
「かなりね」
「どこが違うの?」
「どこが違うと思ってるの?」
「えっ、小さいのが流氷で、大きいのが氷山?」
「全然違う」
「やっぱり……」
「まず、流氷。海水が凍った氷のことを『海氷』というんだけど、海氷のうち、岸から離れて漂っているのが『流氷』。だから、流氷が溶けると――」
「海水になるのか……」
「そうそう。それに対し氷山は、氷河や大陸氷の氷が海に押し出されて、割れて流れ出した大きな氷のかたまり。陸上に降り積もった雪が長い年月かかって凍ったものだから、もともと塩分を含んでいないんだ」
「じゃあ、氷山は飲めるんだね」
「だから、大きな氷山を水が不足している地域の海岸近くまで運んできて溶かして、淡水として利用するプロジェクトが検討されているって聞いたことがあるよ」
「その『北極のおいしい水』って、やっぱり、氷屋さんの仕事なのかな?」
「だとしたら、氷屋さんは悩むだろうね。溶かしちゃいけないし、溶かさないといけないし……」
「もう、こおりごおりだ」
【メモ】
◆ちなみに、タイタニック号がぶつかった氷山は、カナダ北極圏のエルズメア島の氷河から流れ出したものだといわれている。
◆「SOS」のモールス信号を世界で最初に打電した船も、タイタニック。しかし、せっかく打った無線であったが、事件後の調査で、無線の取扱いの操作の習熟が不十分であり効果が薄かったことがわかった。
この事故が契機となって,1913年に第1回国際海上人命安全会議がロンドンで開催され、1929年には「海上における人命の安全のための国際条約」が締結されている。
◆タイタニック号に乗船していた、たった1人の日本人は、救出されている。鉄道院副参事の細野正文だ。彼の子孫が、YMO(イエローマジックオーケストラ)のメンバーであったミュージシャンの細野晴臣。
◆映画『タイタニック』に主演した、レオナルド・ディカプリオ。彼の名前を聞くと、どうしても、レオナルド・ダ・ビンチを思い出してしまうのだが、この連想はかなり当たっていたようだ。レオナルド・ダ・ビンチの絵の前で、おなかの中の赤ん坊が母親のおなかを蹴ったことから、「レオナルド」の名前が付けられたそうな。
彼は、この作品で演技賞を取ることはできなかった。
◆オホーツク海に面する北海道沿岸での「流氷用語」を。
サハリンの東を南下してきた流氷が海岸からの視界内に初めて現れた日が「流氷初日」、視界内に流氷が見られた最後の日を「流氷終日」、初日と終日の間の日数を「流氷期間」と呼んでいる。
紋別(もんべつ)や網走での流氷初日は例年だと1月中旬、流氷終日は紋別で4月上旬、網走で4月中旬だそうだ。しかし、これらは、年による違いが大きく、1〜2ヶ月ほどの幅がある。
◆接岸していた流氷が沖に去り、漁に出ることができるようになることを「海明け」という。流氷はまだ沖に見えているわけだから、海明けは流氷終日よりも早い。
◆視界に初めて現れたとか、視界から消えたとか、1つや2つの流氷だと見落とすことがあるのではないか――と考えてしまいそうだが、流氷の動きは案外速いのだ。
流氷は風向によって接岸と離岸とを繰り返す。速いときには時速2〜3kmの動きを見せるそうだから、一晩で大きな変化を見せるのだ。
「あれ! 昨日の晩は流氷なんて一つもなかったのに!」
とか、
「あれ! あんなにたくさんあった流氷はどこに行ったの!」
なんてことが有り得るわけだ。
◆網走からは、流氷観光のための観光遊覧船「オーロラ」が就航している。この船は、一般の遊覧船の構造とは大きく異なっている。船ごと流氷にのしかかり、船の重みで氷を砕くのだ。そのため、船首の下方は丸みを帯びた形をしており、底板の厚みもふつうの船の1.5〜3倍と強化されている。旧南極観測船「宗谷」と同じ原理だ。
◆網走に来たからといって、必ず流氷に会えるとはかぎらない。運悪く、流氷に巡り会えなかった人は、オホーツク流氷館へ。マイナス15度の流氷体験室では、一年中本物の流氷に会える。あまりに寒いので、
◆紋別からも、流氷を観光するための遊覧船が出ている。名前は「ガリンコ号」。この船の「流氷対策」は、「オーロラ」とはまったく異なる。船の先端につけられた巨大スクリューで、行く手の氷を粉々に砕いてしまうのだ。
◆紋別には、氷海にせり出すオホーツクタワーがあり、ここからの眺めは素晴らしいそうだ。館内では、流氷レーダーの画像などが表示される。
◆オホーツク海岸の沖合50kmくらいまでの流氷状況は,北海道大学の流氷レーダーで、昼夜にかかわらず継続して観測されている。
◆和名は「ハダカカメガイ」。氷の漂うオホーツク海に生息する、カラを持たない巻き貝の一種で、「流氷の天使」「氷の妖精」とも呼ばれるのはクリオネ。
◆「オホーツク」とは、ロシア語で「大きい」という意味。
◆ロシアのハバロフスク地方に、オホーツクという村がある。この地方では、もっとも古い村の一つだ。もちろん、オホーツク海に面している。
江戸時代、伊勢から漂流した大黒屋光太夫らは、ロシアの小さな村の人々に助けられ、遠く離れたペテルブルグに向かうのだが、その村こそがオホーツク村だった。
◆「流氷」は、なんと春の季語。