● 第百六十一段 ● 今さら、お粥の作り方
次男の陽(よう)は、現在、6ヶ月とすこし。もう離乳食がかなり進んでいる――となっていても、不思議ではない時期なのだが……、陽はだめだ。
つい最近までは、本当に母乳オンリーだった。市販の粉ミルクもだめ。果汁もだめ。スープもだめ。だから、母親と四六時中一緒に行動していないと、生きていけないことになる。
それでは困るので、以前には、母乳を冷凍するという方法を試してみた。必要なときに解凍して飲ませるのだ。しかし、なんと、陽はそれも受け付けない。
「どうして?」
稲田君は、理解できないという顔で言った。
「だって、母乳なら飲むんだろ?」
「でも、だめなんだ」
「一度冷凍された母乳だってことがわかるのかな?」
「そうじゃないと思うよ。どうも、哺乳瓶の乳首と相性が悪いみたいなんだ……」
「なるほど……、何かが違うんだね」
「本当に、困ってるんだ。だから、両親は、既に、哺乳瓶を使うのをあきらめているんだ」
「大変だね」
「でもね、最近になって、ようやくお粥をすこし食べるようになってきたんだ」
「突然、離乳食なんだね」
――そのお粥の件で、驚いたことがある。
陽にお粥をすこしずつ食べさせるようになって、お粥が必要になったわけだが、どうも、変だ、お粥を炊いている様子がないのだ(これを書いている本人は、とりあえずお粥は炊かない)。
残ったご飯をお粥にしているのだとずっと思っていたのだが、由希子のそんな姿を見たことがない。自宅にある炊飯器は、粥を炊く設定もできるのだが、おかわりしようと蓋を開けると必ず普通のご飯だ。お粥ではない。でも、夕食時に、陽はお粥を食べている。このお粥は、一体どこから来ているのか?
「あら、普通のご飯と一緒に炊いているのよ」
あっさりと由希子は言った。
「一緒に?」
「そうよ」
「どうやって?」
ということで、教えてもらったお粥の炊き方を紹介しよう。コップ粥の作り方
(1)特別に用意するもの
・背の高い耐熱容器(由希子は、茶碗蒸しの容器)(2)(1)の容器に洗った米と適当な量の水を入れ、炊飯器の内釜の中央に配置。
(3)炊飯器のスイッチを入れる。
「これだけ?」
「これだけよ。容器の周りは普通のご飯、容器の中はお粥ができるのよ」
「同時に2種類できるんだね。何だか不思議だけど……」
「そうかな〜。私は、陽がどうして哺乳瓶を受け付けないのか、そっちの方が不思議だけど……」
【メモ】
◆我々は、粥というと軟らかいご飯を想像するが、これは最近の話。古くは米を蒸したものを「飯(いい)」、煮たものを「粥」と区別していた。
◆粥は、その固さによって固粥と汁粥とに分類される。現在、「飯」と呼ばれているのは「固粥」だ。「お粥」は「汁粥」ということになる。
◆お粥は、米と水を重量比によって、次のように分類される。
全粥………1:5
七分粥……1:7
三分粥……1:15
また、重湯(おもゆ)は、米1に水10の割合で煮て汁だけをこし取ったもの。「おまじり」は、全粥1に重湯9の割合にしたものだ。
◆「粥」という字は、「弓」と「弓」の間に「米」がある。米を使っているので、「米」の字が含まれているのはとても納得できるのだが、2つの「弓」は何だ?
「かゆ」は、「鬻」が本字。「粥」は、その省略形の略字。本字の下の部分の「鬲(かなえ)」は、3本の足を持った食物を煮る器。
◆「弓弓」は「ゆだめ」の意――と、漢和辞典にあった。「ゆだめ」? 聞いたことがない言葉だ。どうも、「弓を矯める(矯正する)こと、または、そのための道具」らしい。
その弓矯(ゆだめ)で、弓の形を美しく整えると……しなやかになる。「彡」には、「形を美しく整える」という意味があるらしい。そう、だから、「弱」は「しなやか」という意味がある。転じて「よわい」という意味になったわけだ。
ならば、弓矯を表す「弓弓」にだって、「しなやか」や「よわい」といった意味を持たせたっておかしくはない。
つまり、「鬻」は、「鬲」で「柔らかく(弱く)」煮た「米」ということだ。
◆中学生のころに、明治憲法について歴史で習った。「内閣は天皇を輔弼する」などと習った。この「輔弼」が分からなかった(今でも分かっていない)。「粥」のついでに、調べてみた。
「輔」は、車に重い荷物を載せるとき、車輪につけて補強する木のこと。だから、「たすける」という意味がある。「弼」は、「弓弓(ゆだめ)」と「百(原字は席、重ねるの意味)」から成り、弓矯に弓を重ねて矯める、転じて「たすける」の意味があるのだそうだ。
結局、「たすける」ということなんだけど、どうしてこんなむずかしい字を使うのかな?
◆一般に「桜粥」といったら、粥に小豆が入っている。いつ食べてもいいのだが、小正月の1月15日の朝に食べるのがの最も一般的となっている。
◆にんじんおろしが入っている粥は、「曙粥(あけぼのがゆ)」というらしい。
◆粥を用いた占いがある。「粥占(かゆうら)」という。小正月の1月15日の粥で行うのが普通。粥を炊くときにかき回す棒を粥杖(かゆづえ)というのだが、粥杖の先を十文字に割り、粥をかき回したときにはさまる粥の量で作柄を占うというものだ。
◆九州地方には、粥を放っておいて、その変化で占う風習がある。つまり、1月15日の夜、粥を器に取り、翌朝の粥の固まり具合で、一年の運を占うということだ。
◆上記のどちらの方法にしても、実際はどうやって判断するのか素人にはよく分からないが、もっとよく分からないのもある。
1月14日の夕刻、粥を貝に盛り、2月1日に、その固まり具合や粥についたかびの様子を見て、豊作かどうかを判断するというものだ。まるで、「かび占い」だ。
◆あらあら、粥杖を使う風習でもっとすごい話も出てきた。
小正月の1月15日の朝、棒で嫁の尻をたたいて、早く子どもを持つようにと祝う風習が日本にあったのだそうだ。このときの棒は、どうやら粥杖を使うのが本来であるらしい。
この棒のことを『枕草子』では「粥の木」、『狭衣物語』では『粥杖』と呼んでいる。
◆ご存知、七草粥。正月の七日に食べることになっている。入っているのは、「春の七草」。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、だ。
さて、本来、七草粥は、1月7日の節句を祝って食べるものなのだが……、何の節句かご存知だろうか? これは、あまり知られていないようだ。人日(じんじつ)の節句という。
◆芥川龍之介の作品に、『芋粥』がある。この作品は、『羅生門』『鼻』などと同様、『今昔物語』から題材を得ている。
◆奈良では、茶粥が比較的ポピュラーだ。「奈良茶」などとも呼ばれる。茶粥を食べさせる店も多い。
◆本文では、普通のご飯と粥を同時につくるを方法を述べたが、最後にその応用編を紹介しておこう。
炊飯器のスイッチを入れる……、その前に、釜の中に卵を入れる。割って入れるんじゃないぞ。そのまま、入れる。ご飯が炊きあがったころには、ゆで卵ができている。ね、すごいでしょ。
普通のご飯とお粥とゆで卵を同時に作ることもできるはずだ。
◆そうか。『伊藤家の食卓』に投書するという手があった。ちょうど食卓の話題だし……。