●2014.02.28 No.149 壇ノ浦
関門トンネルを「歩いて」、下関側まで来ました。
2人の像があります。
そうです、ここは、壇ノ浦。となれば……、源義経と平知盛の像ですね。
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西へ東へと1日に4回、その流れの向きを変える関門海峡。せまい所では、両側の幅は700mあまりで、潮流の速度は約10ノット(時速18km)にもなります。また、瀬戸内海の入り口に位置する地理的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。
寿永4年(1185)3月24日、平知盛(とももり)を大将にした平家と、源義経率いる源氏が、この壇ノ浦を舞台に合戦をしました。当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から武家政治へと移行していきました。なお、この戦いにおいて義経は、平教経(のりつね)の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれています。
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ということで、キーワードを並べると……
関門海峡
1185
平知盛
源義経
壇ノ浦
安徳天皇
八艘飛び
こんなところでしょうかね。
下関側から門司側が見えます。
すぐそこという感じです。歩いていけるくらいの距離ですから。
こんな狭いところの潮の変化はすさまじいものがあると想像できます。
こんなところで合戦が行われたのです。
ちょっと信じられません。