★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第六段 ●  手描きの地図

 地図を描くのはむずかしい。最近はコンビニエンスストアなどでも、地図を売っているので、簡単に地図が手に入る。カーナビなんてのもあるし、他人に地図を描いてもらうということは減ってきているかもしれない。
 しかし、よく考えてみると、市販の地図と人が描いた地図ではかなり違うものだ。
 まず、縮尺が違う。当然のことだが、市販の地図では縮尺が一定になっている。これは決定的な違いだ。手描きでは、ある程度は一定の縮尺で描けても、細部まで同じ縮尺では描けまい。
 ほかにも、色が違う。文字が違う。角度が違う。詳しさが違う(山口百恵の『イミテーションゴールド』のようだ)。等高線まで入った手描きの地図なんて見たことがない。
 それでも、手描きの地図の方が分かりやすいときがある。
 縮尺が違う、角度が違うといっても、点と線とのつながり方は同じわけである。駅で切符を買うとき、大きく掲示されている路線図を見て、実際もあんなふうに駅が存在している、線路が走っているなどと思っている人はいまい。あれは、実際の路線の駅の並んでいる順番、線路の分岐、合流だけを保存して変換したものだ。ひどいときなどは、実際とは全然違う方向に電車が走ってしまっている路線図がある。それでも困らない。慣れの問題だ。
 重要なのは、情報の取捨選択だ。目的地に行きたいときに使われる道は数通りしかない。市販の地図には、それらの道と関係のない道まで描いてあるので、地図が苦手な人にとっては、情報過多である。他人に描いてもらえば、目的地に行くまでの「素直な」道、さらには、親切な目印まで手に入る。必要な情報だけを、手に入れることができるのだ。しかも、相手が親切に教えてくれる。これが、手描きの地図の圧倒的な利点である。情報過多の状況から、必要な情報だけを取り出して、しかも自分で「解読」しなければならない――市販の地図は、案外やっかいだ。
 最近流行のカ−ナビは、「次の角を右へ曲がってください」
 とか何とか話すらしい。使ったことがないので知らないが、宣伝でやってた。これは便利だが、所詮、機械は機械。
「右手にコンビニが見えたら、右折。ちょっと行って、ポストを左」
 とは言えまい。言えたらすごい。情報の取捨選択をするのは、やはり人間だ。
 そういえば、地図を読むのもむずかしい。
 地図はたいてい、北を上にして描かれてある。だから、困ることもある。現在いる場所より南に行こうとする場合だ。そういうときは、上下をひっくり返して地図を見る。その方が、理解しやすい。何かの理由で地図をひっくり返すことができない場合は、首を曲げたり、体の位置を変えたりする。そうでもしないと分かりにくくてしょうがない。
 だいたい、「進む」といえば、前に進むのがふつうだ。だから、自分の進む方向が上になっていないと分かりにくいというのは、人間工学的に考えても正しいと思う。カ−ナビも進行方向が上になっているのだろう。他人に地図を描いてもらうときには、進行方向も配慮しながら描いてくれるので大変ありがたい。
 地図は本当にむずかしい。
 小さい頃、自転車で坂道をぜえぜえ言いながら登っていたとき、
「地球は丸いから、坂道があるんだ。がんばろう」
 と思っていた。


【メモ】

◆現存する最古の地図は、バビロニア人が、BC2500年前頃に粘土板に描かいたものだ。徴税の目的で作られたもので、ごく狭い地域のものである。

◆150年ごろ、アレクサンドリアの天文学者、
プトレマイオス(生没年未詳)は、天動説に基づいて精密な観測を行い、経緯度を決めた世界最初の地図帳を作成した。しかし、アフリカ大陸が極端に南の方に広がっていたり、インド洋が内海になっていたり、間違いが多かった。この地図帳は、15世紀にヨーロッパで再発見されて印刷された。

◆地図帳のことを欧米では「
アトラス」と呼ぶ。16世紀に地図学者メルカトル(1512〜1594)が自分の地図帳の巻頭に、天地を支えているアトラスの姿を使ったことにはじまる。
 アトラスというのは、ギリシャ神話に出てくる神様で、ティタン神族の一人。プロメテウスとは兄弟だ。オリンポス神々との戦いに敗れた罰として、世界の西の果てで、背中に天空を、肩にこれを支えるを柱を背負うという苦行を課せられた。つまり、あの球は地球ではなく天球だ。
 アフリカ北西部にあるアトラス山脈も、この神話に由来する。この山の向こうの世界の西の果てにある海が「アトランティス海(大西洋)」と呼ばれた。

◆アトラス山脈は、アルプス造山運動によって隆起したアフリカ北西部にある山脈群の総称。最高峰は、モロッコのトゥブカル山。標高は、4165mだ。

◆「アトラス」という名のロケットがある。アメリカの使い捨て型ロケットだ。ロケットとしては、中型に分類されるらしい。1.4トンの静止衛星を打ち上げるためのものだ。

◆地図帳の装飾にアトラスを使ったという
メルカトルは、よく知られているメルカトル図法の考案者だ。
 地球を地図に表す場合、面積や方位にどうしてもひずみがおこる。球面を平面に描くわけだから仕方がない。だから、面積・距離・方位のいずれかに重点を置き、ほかのものを犠牲にしなければならない。
 メルカトル図法は、方位を正確に示している地図だ。だから、航海には役に立つ。この地図の2点間に直線をひき、その方位を読みとれば進路を決めることができる。
 しかし、方位に重点を置いた結果、面積や距離がおろそかになってしまった。赤道に近い地域ではかなり正確なのだが、高緯度では大きくゆがんでしまう。

◆日本の地図の場合、奈良時代の「
行基図」にまでさかのぼることができる。しかし、残念なことに、写しが残っているだけで原図はない。その写しの中でも最も古いとされるのが、京都の仁和寺にあるもので、これは鎌倉後期の1305年(嘉元3)のもの。

◆中学のときに習ったと思うが、奈良時代の743年(天平15)に「墾田永年私財法」が出されている。これにより開墾地の私有が認められるようになったわけだ。大仏で有名な奈良の東大寺でも墾田を持っており、751年(天平勝宝3)に作成されたの墾田図が正倉院に保存されている。原図が残っているもの地図ということでは、これが最古。

伊能忠敬(1745〜1818)は日本最初の実測地図を作ったことで有名だが、その地図は『大日本沿海輿地全図』と呼ばれる。
 50歳で家督を長男に譲った彼は、江戸に出て高橋至時(よしとき)(1764〜1804)に天文学を習う。1800年に蝦夷地・奥州街道を自費で測量し、できあがった地図を幕府に献上する。このときの測量技術が幕府に買われ、全国を測量することになる。72歳になるまでの17年間に全国を測量し、『大日本沿海輿地全図』をまとめにかかるが、その途中で死去。地図は、1821年、弟子や至時の子、景保(かげやす)(1785〜1829)らの手で完成される。

◆この地図は幕府に献上され秘蔵されていたが、景保は別に縮小図を編集していた。
シーボルト(1796〜1866)は、この写しを景保から手に入れ、国外へ持ちだそうとする。しかし、荷物を積んだ船が座礁、国外への持ち出しが禁じられた品物が政府に発見され、シーボルトは翌年国外追放となる。また、彼と親交のあった日本人も多く逮捕され、景保は裁判中に獄死している。これがいわゆる「シーボルト事件」。

◆1861年に来訪したイギリスの測量船アクテオン号は、幕府の役人から見せられた『大日本沿海輿地全図』の正確さに驚き、日本沿岸の測量をやめたといわれる。

◆水準測量により、正確に測量された標高を示す地点を「
水準点」という。測量の制度によって1等と2等に分類され、全国の主要な道路沿いに設置されている。
 水準原点は、旧陸軍陸地測量部があった場所(現憲政記念館)にある。

  東京都千代田区永田町1−1 尾崎記念公園

 もっと詳しくいうと、

  水準点標石の水晶板の零分画線の中点

 を原点としているそうだ。原点というからには、これくらい正確でないとだめだ。この原点が、東京湾の平均海水面から24.4140mの高さだと定められている。
 この水準原点は、設置当時(1891年)は海抜24.5mだったのだが、関東大震災のときに沈下して、現在の高さになっている。

◆三角測量により、正確に測量された位置を示す基準点が「
三角点」。測地原点は、東京都港区麻布台の旧東京天文台構内(北緯35度39分17.5148秒、東経139度44分40.5020秒)にある。
 三角点は、山の頂上平野でも展望のよい場所に設置され、そのポイントには三角点標石が埋設されている。重要度に応じて1等から3等まであり、地形図では3等三角点まで位置が示されている。4等三角点などは平均約1.5kmの間隔で網状に約6万点も設置されているから、探せば案外身近にあるものだ。

◆陸上で、同じ高さの地点を結んだ線を地図上に表したのが、等高線。海中で、同じ深さの地点を結んで地図上に表したのが、等深線。

◆鳥が飛びながら地上を見たらこんな風に見えるだろうな、ということで描かれている地図が、鳥瞰図。海底の場合は、
鯨瞰図

◆経度を英語で、longitude。緯線は、latitude。Dreams Come True は、『LAT.43°N』という曲を歌っている。

◆経度の「経」は、訓読みで「たていと」と読む。緯線の「緯」は、「よこいと」と読む。「経緯」と書いて、「いきさつ」とも読む。

◆日本人初のノ−ベル賞授賞者、湯川秀樹(1907〜1981)は、
「未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である」
 と言った。

◆やめようやめようと思っているのだが、どうしても言ってしまう表現がある。
「青森県の上が、北海道だ」


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