● 第九段 ● 紙を漉こう!
愛媛県の東の端に川之江市がある。人口4万人くらいの都市だ。西どなりの伊予三島市とともに、製紙工業地域を形成している。行ってみると本当に「紙のまち」という気がする。製紙工場が立ち並んでいる。
ここでは、毎年7月の最終土・日曜日に、「川之江紙まつり」が開催される。紙の造形物や紙製品の展示、紙おどりなどの催しがあり、市内最大のイベントして、全国的にも注目度の高いユニークなお祭りだ。
さて、川之江市内を走る国道11号線からすこし入ったところに、「紙のまち資料館」はある。旅行の途中に、偶然見つけて、立ち寄った。
小学校の低学年の男の子が3人、Gパンをはいた二十歳前ぐらいの女性が1人いただけだった。訪れたのは、夏休みの時期だったのだが、その割にはちょっとひっそりしていた。それが幸いして、丁寧に紙漉きを教えてもらえた。この資料館では、紙漉き教室を低料金で実施していたのだ。これも何かの縁だろうと、5人で挑戦した。
その際に説明のプリントをもらったので、ここに紹介しておこうと思う。材料も特に手に入りにくいという物はないので、挑戦してみてはいかがだろうか。
手作りはがき (牛乳パックを使って)
1.パックを開く [1] 飲み終わったパックを湯又は水でよく洗う。 [2] カッタ−やはさみで1枚の板状に開く。(底の部分は切り取る) 2.パルプの取りだし [3] 板状のパックを表裏2枚にはぐ。([4]で水の浸透をよくするためにする。) [4] バケツ等の容器に粉せっけんを入れて熱湯で溶き2枚にはいだパックを1〜2昼夜付け込む。(粉せっけんはラミネ−ト加工されたポリエチレンをはがし易くするために入れる) [5] 漬け込んだパックをよく絞り、ラミネ−ト加工されているポリエチレンをきれいに取る。 3.紙料(原料)作り [6] はがしたパルプを3〜5cm程度にちぎりミキサ−にかける。(約1分)
(すぐに漉かない場合は、パルプをざるに取りよく絞って、ビニ−ル袋などに入れて冷蔵庫で保存する。)[7] ドロドロに溶けたパルプを容器(発砲スチロ−ル、コンテナなど)にとり、水を加えて、よくかきまぜ紙料を作る。 ・漉き枠作り [1] 木箱板等を使って、内側が144mm×98mm、高さが約3cmとなる木枠を2つ作る。 [2] 2つの木枠のうちの1つに、50〜100メッシュのステンレス網(網戸の網でもよい)を取り付ける。 4.紙漉き [8] 漉き枠をセットして、バケツの中の紙料を汲み込む。(繊維をよく絡ませるため、水がろ過するまで、前後左右にすこしゆする。) [9] よく水を切って漉き枠の上の部分を取りあらかじめ用意していたさらしの上にふせる。 [10] ふせたままで、金網の上からタオルなどで、よく水をとり、さっと漉き枠をはずす。 ・アレンジ [1] 押し花や千代紙等を漉き込む。
*木枠に紙料を汲み込んだときに、その表面に押し花や千代紙を好みに合わせてのせ、その上からすこし紙料をかける。[2] 染色、マ−ブリング(墨流し)など
*タマネギの皮や紅茶などを使って染めて(草木染など)漉く。
*水を入れたバットの中に油性の絵具等を溶き、好みの柄模様になったところでその上から紙を置き、写し取り、乾燥させる。5.乾燥(仕上げ) [11] 漉き上げたハガキをガラス窓などの面に貼り天日乾燥させる。(肉の厚いつるつるした葉っぱ(椿、ミカンなど)をつかってクルクル押さえつけながら貼るとよい) [12] 又は、アイロンをかけ乾燥させる。(さらしにはさんだままパリパリになるまで裏返しをしながらかける) 千代紙を小さく切ってちりばめたら、きれいなハガキが5枚できあがった。男の子らは、何とか形になったという感じ。Gパンさんは、それはそれは美しいものを仕上げていた。東京の美術大学で勉強していると聞いて、納得した。
彼女の住所を聞くことができたので、できあがったハガキの1枚を送ってみた。数カ月待ったが、ついに返事はなかった。この場合、「便りのないのはよい便り」は成立しない。
この資料館では、実際には「4.紙漉き」の段階から行っていたので、時間はそれほどかからない(現在では、「紙漉き体験」は行われていないと聞いた)。
自宅でするときには、材料の準備から始めないといけないから、かなりの時間がかかるだろう。
あと、4枚ある。誰に送ろうかな。
【メモ】
◆紙を初めて作ったのは中国の蔡倫だと、高校の世界史で習った。確かに、中国の『後漢書』「宦者列伝」に、宦官の蔡倫が、105年に、樹皮、布、魚網などをつかって紙をつくったという記録がある。しかし、1980年代に甘粛省で、BC2世紀のものと推定される紙が発見されたことから、蔡倫は、麻、竹、稲わら、コウゾなどを原料とした、紙の製法をまとめた人物と考えられるようになった。
◆7世紀の初め、日本に紙漉きの方法を伝えたといわれるのは、曇徴(どんちょう、生没年未詳)。高句麗の僧侶だ。
◆では、曇徴が来日するまで、日本には紙はなかったのか? この時代には、戸籍を記録するために、大量の紙の需要があり、紙が作られていた可能性が高い。すくなくとも、中国や朝鮮から輸入した紙(唐紙)は存在し、珍重されていたと思われる。
◆日本では、一般に多く使われる紙にはA列とB列があり、そのほかに四六判(788×1091mm)、菊判(636×939mm)などがある。
◆A0判の大きさは、841mm×1189mm。実際に計算してみるとわかるが、この面積は、1平方メートルになる。こんなにうまくいくのは、偶然ではない。ちょうど1平方メートルになる長方形を設定したからだ。B0判は、1030mm×1456mm。こちらの面積は1.5平方メートル。だから、同じ番号なら、B判の方が面積が大きい。
◆A0判の紙を、長い方の辺で半分に折った大きさがA1判。それをさらに半分にしたら、A2判。さらに半分にしたのが、A3判。だから、同じ番号なら、B判の方が面積が大きい。
◆A0判の紙を、長い方の辺で半分に折った大きさがA1判。それをさらに半分にしたら、A2判。
A0判、A1判、A2判……は、全て相似な長方形になっている。半分にした長方形が、元の長方形と相似になるというのは有名な話。つまり、短辺の長さと長辺の長さの比がどれも同じだということ。で、この比は、1:√2。
この比をどうやって求めるかは、中学3年生への問題。
◆模造紙という紙がある。「模造」紙というからには、何かを模造しているのだろう。さて、それは何か。答えは、和紙。
◆酸性紙がゆっくりと腐食され、本がぼろぼろになってしまう現象を「スロ−ファイア−」という。
◆PPCとは、感光材料を塗った感光紙ではなく、普通の用紙にコピ−できる複写機のこと。plain paper copierの略。
◆スギやヒノキなどの木材を紙のように薄く削ったものを、「経木(きょうぎ)」という。お菓子などを包んだりするときに使う。昔はこれにお経を書いていたんだろう。
◆カニ缶で中身を包んでいるのは、「硫酸紙」。半透明の薄い紙で、無味・無臭、緻密な組織をもっているので、耐水性、耐油性がある。このため、バター、チーズ、肉類の包装に使われている。それにしても、硫酸紙なんかで食べ物を包んで、大丈夫なのと思われるかもしれない。
「硫酸紙」といっても、硫酸で作られた紙ではない。パルプを処理する段階で、硫酸を使っているだけだ。しかも、最終的には、十分に水で洗われ、脱酸されから乾燥されるので、名前だけを聞いて驚くことは何もない。
◆極細の金糸で織った布同士の間にはさんだ紙を、「ティッシュ・ペ−パ−」という。これが由来。
◆辞書などに使われる、不透明な乳白色の薄い紙は、インディアン・ペ−パ−。
◆トイレットペ−パ−の肌触りをよくするために、紙に凹凸のある型を押し付けて、フンワリとソフトに仕上げる加工法を「エンボス加工」という。
◆著書がベストセラ−になることを、「洛陽の紙価を高める」という。
晋の左思(さし、250?〜305?)の書物『三都賦(さんとのふ)』を洛陽の人々が競って書き写したので、紙の値段が高くなったという故事から生まれた言葉だ。
◆書道などで書き損じた用紙を「反古」という。そうそう、「約束を反故にする(破る・ないものにする)」とかいうでしょ。あの語源がこれ。
◆「横紙破り」という言葉がある。和紙は縦の方向には破りやすいが、横には破りにくいということから生まれた言葉。物事を自分の思い通りにむりやりに押し通そうとすることをいう。同様の意味を持つ言葉に、「横車を押す」がある。