★雑木話★
ぞうきばなし

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 ・ 第八十四段の一 ・  小さくても大きな国
   (この段は、第八十四段からの続きです)

 バチカン市国って、どうしてこんなに小さいんだろう? 総面積が44万u。ここはぜひ、近くの田畑、公園、ため池、大学などと比べてほしい。本当に小さい国なんだから……。
 全国的にポピュラーなものとの比較となると、たとえば、東京の上野公園よりもまだ小さい。さて、今回は、「小さくても大きい国」、バチカン市国について、すこし知識を増やしてみよう。
 まずは、歴史。分裂の状態にあったイタリアが一応統一されたのが、1870年。このとき、政府は法王に保証を与えたが、うまくいかず、法王ピウス9世は、イタリア政府と国交を断絶した。以後、法王はローマ市内のバチカン区にこもって、イタリア国王と反目を続けた。この状態が回復されたのが、1929年2月のラテラン条約。バチカン市の独立が認められ、世界最小の国が登場した。
 面積は小さくても、世界最大の信者を抱えるカトリック教徒の総本山である。影響力は絶大だ。
 現在の元首は、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世。法王に絶対的権力があるので、議会に当たるものはない。教皇庁外務評議会が国と150ヶ国を越える諸外国との外交関係を担当する。国連にもオブザーバーとして参加しており、国連での名称は、「聖座The Holy See」。
 スイス衛兵が内部の治安と教皇の護衛にあたっているが、サン・ピエトロ広場はイタリア警察が管轄する。教皇の夏の離宮であるカステル・ガンドルフォなど市国外にあるバチカンの建物にも、治外法権がみとめられている。主要言語はイタリア語で、教皇庁の公用語はラテン語。人口は750〜800人。住民のほとんどがローマ法王庁に勤務する聖職者と衛兵。このうち半数が本来の市民権を持ち、残りの半数は一時的に市民の資格を得た寄留者である。
 ミニ国家だが、国としても機能は整っている。イタリアのリラと等価の通貨を有するほか、郵便局や美術館、博物館、病院、発電所、印刷所をはじめ、鉄道駅、ラジオ局、電話・電報サービス、銀行、さらに天文台や刑務所まである。また、「オッセルバトーレ・ロマーノ」という日刊誌は発行部数が7万部もあ
るし、そのほかにも月間公報1誌、書籍やパンフレットが各国語で出版されている。
 国会財政も、たいしたものだ。世界中のカトリック信者からの寄付金や切手販売収入、博物館の入場料などで財政をまかなっているといわれているが、実際はそんなものではないらしい。1929年にイタリアから独立するときにもらった賠償金の金利だけでも、年間約1500万ドルと言われているし、その他巨額の資産があるらしい。1965年の『エコノミスト』は、
「バチカン市国の資産は、どんなにすくなく見積もっても56億ドル(当時のレート2兆円)を下らない」
と指摘している。
 どうも、バチカンって国、よくわからない。

【メモ】

◆有名な
サン・ピエトロ広場は、ベルニーニのデザインで1667年に完成したもの。広場を半円形の回廊が囲んでいるが、ここにはドーリア式の円柱が284本も並び、その上部には、140人の聖人像がある。広場の中央には、高さ25.5mのオベリスクがある。

◆サン・ピエトロ寺院の衛兵の制服をデザインしたのは、ミケランジェロ。オレンジ、青、赤のストライプが、かなり派手だと思う。

◆■ 
ミケランジェロ ■
1475〜1564。イタリアの彫刻家・画家・建築家・詩人。ルネサンスの巨匠。主にフィレンツェとローマで制作。自由を熱愛し、フィレンツェの危機には、軍事技術者としても活躍した。その作品の多くは、パトロンやライバルなどの無理解や中傷と戦いながら生み出された。代表作に、『ピエタ』『ダヴィデ』『モーゼ』『天地創造』『最後の審判』など。晩年は、サン・ピエトロ寺院のドーム設計にあたった。

◆『ピエタ』は、サン・ピエトロ寺院に入ってすぐの右側にある大理石像。フランス枢機卿の依頼で完成したミケランジェロ25歳の作品だ。

◆『ダヴィデ』は、1501〜04年の作の大理石像。フィレンツェのアカデミア美術館にある。上げているのは、右手。

◆1505年、教皇ユリウス2世は、自らの墓廟をつくるようにミケランジェロに命じる。彼は、最高の材料を選び、時間をかけ、制作を続けていたが、教皇は1508年、制作をストップさせ、別の絵を描くことを命じた。これが、「描かれた大理石像」と呼ばれている
『天地創造』だ。
 しかし、これはある芸術家の策略だったという。教皇があまりにミケランジェロを寵愛するので、これに嫉妬した建築家ブラマンテが、
「ご存命中に墓をつくるなんて不吉です。それよりもシスティナ礼拝堂の天井画をミケランジェロの素晴らしい絵で飾られてはどうでしょう」
と、知恵を与えた。彫刻専門のミケランジェロにこの仕事ができるわけがないと計算したのだ。固く依頼を辞退するミケランジェロに、教皇は譲らず、無理に承諾させた。
 システィナ礼拝堂の天井の長さは41.2m、幅13.2m。ミケランジェロは、これだけの大作を、1508〜12年のわずか4年で、ほとんど一人で描き上げた。
 ブラマンテの計略は、裏目に出た。

◆同じくシスティナ礼拝堂の正面入口には、『最後の審判』の大壁画がある。これは、1535〜41年に制作されたもの。
 これを見るのが目的の一つだったのに、ちょうどその日は休みの日に当たっていた。ショック。

◆農民の生活に多く題材を求めたために、「農民のミケランジェロ」と呼ばれたフランスの画家はミレー。

◆バチカン宮殿については、ガイドブックなどで知識を増やしてもらうことにしよう。

◆サン・ピエトロ寺院に向かって右手の建物には、法王の書斎がある。毎週日曜の正午、最上階の左から2つ目の窓から、法王が姿を見せる。

◆■ 
サン・ピエトロ寺院 ■
建坪15160u、円屋根の高さ132m、総大理石。世界最大の聖堂。4世紀初頭、聖ペテロの墓の上にコンスタンティヌス帝が寺院を建立したのがはじまり。1506年、ユリウス2世がブラマンテに大改築を命じ、彼の死後、レオ10世がラファエロに、ついでミケランジェロに命じた。1626年に完成。

◆この寺院を改築するのには、大変なお金が必要だった。レオ10世は、困ってしまって、改築費調達のために「免罪符」を発行する。これが、ドイツ宗教改革のひきがねになる。

◆バチカン市国の国旗を頭に思い浮かべることができるだろうか? 正方形で、左半分が黄色、右半分が白。右側には、法王の冠と、金と銀の鍵が描かれている。


【参考文献】
  ・世界地理の雑学事典  辻原泰夫  日本実業出版社
  ・La muse 12 ヴァチカン美術館  講談社


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