● 第百二十二段 ● 3秒でピピッ!
それまでは「45秒タイプ」のものを使っていた。これでもかなりの短時間で便利なのだが、熱を出して泣きわめく子どもが相手となると、45秒でも長い。
体温計の話だ。45秒タイプのものでも長く感じるとなると、しかたがない。少々高価ではあったが、「3秒タイプ」のものを購入した。耳に入れてスイッチを押すと、3秒で体温を測ることができるというスグレものだ。耳の鼓膜温は、脳にある体温を調節する中枢である視床下部に近い変化を常に正確に反映している。鼓膜温を測れば体温の変化を素早く感知することができるというわけだ。自分の耳で試してみたが、痛くもなんともない。これはいい。
しかし、それを本来の目的で使用する機会は、由希子に先に巡って来た。彼女の耳にピピッとやってみると、38.3℃もある。この状態が何日も続いたのだ。点滴を打ってもらったり、薬を飲んだり……、病院に行っては自宅で寝るという流れが数日続いた。
彼女には失礼だが、そこではたと気がついた。
「それで、わかったんだよ、稲田君」
「何を?」
「自動車でも、時速100キロか110キロを越えるとチンチン鳴って、注意を促すじゃないか。あれだよ」
「いったい何のこと?」
「この式を見たことがあるだろ?」
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F=―C+32 ……(1)
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「う〜ん、どこかで見た覚えがあるけど……、なんだったっけ?」
「ほらほら、アメリカを夏の暑い時期に旅行すると、街角で100を越える数値が表示されている電光掲示板を見ることがあるでしょう」
「はいはい。アメリカには行ったことがないけど、わかったよ。摂氏で表された温度を華氏に換算する式だね」
「あたり! でも、それが何か?」
「僕は、あの電光掲示板を見たときに、『げ〜、100度を越えている!』って思ったんだ」
「そうだね。100を越える気温なんて見ると、摂氏を使っている者は、とっても驚いちゃうね」
「だろ。で、次の瞬間、『あ〜、そうだそうだ、華氏だったんだ』と、胸をなでおろすんだよ」
「大袈裟だね」
「でね、なんで、華氏では、これくらいの温度が100度なんだろう。ややこしいなって、ずっと思ってたんだ」
「ふうん。で、華氏の100度って、実際は摂氏何度なの?」
「先の(1)式を逆に使えばいいんだよ。Fに100を代入して計算すると、C=37.8。つまり、摂氏37.8度になるんだ」
「人間の体温にすると、かなり高めだね」
「それだよ! 人間の体温と結びつけて考えて、やっと『100度の謎』が解けたんだ」
「どういうこと?」
「華氏の100度は、『これくらいの体温を越えると注意だぞ!』という温度に設定されていたんじゃないかな、もともと」
「なるほど。うまいね、それは。じゃあ、華氏0度は?」
「華氏の0度ってのは摂氏−17.8℃なんだけど、これは氷と食塩を混合したものが溶けはじめたときの温度を0度としたんだと、中学の理科の先生に教わったよ」
「ふ〜ん。でも、それも不思議だね。どうして素直に『氷が溶けはじめる温度』にできないの? どうして塩を混ぜちゃうの?」
「僕もそう思っていたんだけど、これも今考えると納得できるんだ。華氏温度が定められた当時(1717年)に、人工で作る最低の温度を華氏0度としたんだよ。で、この温度は、氷と食塩の混合寒剤で得られる温度だったというわけさ」
「ふうん」
「そんな化学的なことよりも、塩が混ざった水といえば?」
「海水だ」
「そう。つまり、海の水が凍る温度をもとに、華氏0度が設定されたと考えてもいいわけだよ」
「おお、すっきりしたね」
「つらつら考えていると、華氏というのが、人間生活に結び付いた温度目盛だということがわかるだろ。『超暑い』が100度で……」
「『超冷たい』が0度だね」
【メモ】
◆問題。60問の問題を45分で解いたとする。1問あたり平均何秒で解いたことになるか?
答え、45秒。45秒以内に正解できたら、合格。
◆日本の標準時子午線は東経135度。地球上で、この経線の正反対の位置にあたる経線は、西経45度。
◆宗谷岬には、「北緯45度31分」と示された柱が立っている。
◆敬礼の形のなかで、最も丁寧(慇懃無礼?)なものを「最敬礼」という。腰を曲げる角度は、ふつう45度。
◆郵便局では、「エコーはがき」と呼ばれる広告のついたはがきを販売している。1枚45円なり。
◆商品についているバーコードの下には、数字が並んでいる。つまり、あの白黒の縦線が数字を表しているのだ。ちなみに、日本の国を表すのは、「45」と「49」。
◆ハイドン作曲の交響曲第45番につけられたタイトルは、『告別』。タイトルのように、曲の途中で演奏者が次々と抜けていき、最後には第一バイオリンだけになってしまう。
◆『We Are The World』は、世界の難民救済のために、総勢45人のアーティストがレコーディングに参加した。この企画の発起人は、ハリー・ベラフォンテ。
◆大相撲の現在の行司の定員は、45人。
◆日本のプロ野球で、45歳で現役引退という最高齢記録を持つのは、野村克也。
◆アマチュアボクシングにおいて、45kg以下の最も軽い階級は、「モスキート級」。91kg超過の最も重い階級は、「スーパーへビー級」。
◆■ ファーレンハイト ■
1686〜1736、ドイツの物理学者。1714年、それまで使われていた温度計の液体をアルコールから水銀に変え、正確な温度計を製作する。1717年には、これに彼の考案した精密な温度目盛りをつけた。また、精度のよい湿度計も発明している。水やその他の液体には固有の沸点があり、その沸点は気圧とともに変化するということを発見したのも彼である。
◆華氏温度について調べると、
「水の凝固点を32度、沸点を212度とし、その間を180に等分した」
などと説明がある。意味がわからない。
「水の凝固点は32度、沸点は212度となり、その間は180に等分されている」
^^^^^^
ではないのかと考えてしまう。ところがどっこい、前者が正しかった。
◆順を追って説明しよう。
実は、ファーレンハイトさんが温度計を作った当時に、ほぼ一定の温度を呈するものものといえば……、水の凝固点と体温くらいしかなかったのだ。
「えっ? 水の沸点は?」
まだ、だめ。水の沸点が一定の温度であるということは、ファーレンハイトの温度計によって「発見」されたことで、当時はまだ知られていなかった。
◆そこで、ファーレンハイトさんは考えた。氷と食塩の混合寒剤で得られる温度を0度、人間の体温を96度にしようと……。
96なんて数にしたのにもわけがある。96なら、2,3,4,6,8,12,などの数できれいに割り切れて計算に便利だからだ。
◆さて、彼の温度計でいろいろとはかってみると……、水の凝固点が31.2゜F、沸点が206.5゜Fで、それぞれ一定であったことが発見された。
そこで、再び、ファーレンハイトさんは考えた。
206.5−31.2=175.3
彼は、この「175.3」が気に入らなかったようだ。
「もうちょっとで、180なのに……。180なら約数がたくさんあるのに……」
で、先に述べたように、「水の凝固点を32度、沸点を212度とし、その間を180に等分した」わけだ(無理矢理に……)。
◆「今日は、ちょっと熱っぽくてね、38度を越えてるんだ」……A
「今日は、ちょっと熱っぽくてね、100度を越えてるんだ」……B
Bの方が、心配してもらいやすいと思うのだが、どうだろうか。
◆風呂の100度は、すこしぬるいと思う。
◆摂氏と華氏で、同じ温度表示になるのは何度だろう? 計算しても、あまり意味はないと思われるがやってみよう。目的の温度をx度として、本文の(1)式に当てはめる。
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x=―x+32
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これを解くと、x=−40 となる。やはり、意味がない。
◆市販されている人間用の体温計で、測ることができる体温は最高42度まで。
◆で、「3秒タイプ」の体温計を当時2歳の息子に試してみた。平時であったのにもかかわらず、泣きわめかれて失敗した。睡眠時ならばと再度トライしたが、眠りながら彼は「聞かザル」をした。
◆ファーレンハイトが、「3秒タイプ」の存在を知ったら驚くだろうな。
◆ファーレンハイトが考案した温度目盛だから、記号は「゚F」。中国では、「ファーレンハイト」を「華倫海」と音訳したことから、「華氏」という名称がついた。
◆スウェーデンの天文学者セルシウス(1701〜44)が、1742年に摂氏温度を考案している。だから、記号は「℃」。中国で「摂爾修」と書かれたので、「摂氏」という名称がついた。1気圧での水の凝固点を0度、沸点を100度としているのは、ご存じの通り。
◆では、摂氏・華氏の「氏」とは、何なのか? どうでもいいことかもしれないが、人に話すと、よく使う言葉なのに知らない人が多いから、「へぇ〜」となるかもしれない。
これは、私のことを、「星田氏」と呼ぶのと同じ。そう、「ミスター」なんです。ただし、省略されてしまって、摂氏・華氏になっちゃった。
◆昔、阪神タイガースの監督に、ブレイザーという人がいて、スポーツ新聞にはよく「ブ監督」と表記されていたけど、それに似ているね――と稲田君が言っていた。【参考文献】
・科学雑学事典 大浜一之 (日本実業出版社)