★雑木話★
ぞうきばなし

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 ・ 第百三十四段の一 ・  コーヒーの日
   (この段は、第百三十四段からの続きです)

 第百三十四段で、コーヒーを飲むと眠れなくなると述べた。
 このように書くと誤解する人がいる。断っておくが、どちらかといえば、コーヒーは好きだ。
 昔、うちの両親は、喫茶店を経営していた時期があった。コーヒーなんて原価は安いものだ。喫茶店でのコーヒー代の大部分は、人件費と場所代と考えていい。だからというわけではないが、コーヒーは毎日、それも何杯も飲んでいた。したがって、コーヒーの味にはうるさい方だと思う。
 でも、今はあまり飲まない。

 さて、10月1日は、「
コーヒーの日」ということになっている。しかし、どう考えてみても、語呂合わせではなさそうだ。考えていてもわからないので、実行に移した。なぜか家の冷蔵庫に缶コーヒーがあったので、その外側に書いてあった「お客様相談室」のようなところに電話をかけて聞いてみたのだ。
 その通り、10月1日は「コーヒーの日」だということは確認できた。しかし、なぜそうなのかというところまでは、わからなかった。ただし、こちらに聞いてみてはということで、全日本コーヒー協会の電話番号を教えていただいた。
 そちらの方にうかがった結果、ていねいにファックスをいただいた。要約すると次のようになる。

――私たちコーヒー業界でも『コーヒーの日』を設定するにあたり、単なる語呂合わせでなく、すくなくとも歴史的事実を背景とすることのできる、たとえば○年○月○日に初めて日本人がコーヒーを引用したとか、あるいは、コーヒーが日本に初めて輸入された日であるとかを明確にし、かつ裏付けすることができるか否かの検証を続けてみましたが、残念ながらその事実を確認することはできませんでした。
 このため、お米に米国年度があり、予算に会計年度があるように、コーヒーについてもコーヒー年度(10月〜9月)があり、国際コーヒー協会にあってもコーヒー年度の始まりとしている10月1日を『コーヒーの日』として設定した経過があります――

 なるほど、そういうことだったんだ。


【メモ】

◆コーヒーの日がわかったら、当然、
紅茶の日も気になる。
 紅茶の日とされているのは、11月1日。なぜこの日なのか? これも語呂合わせだとは思えない。さっそく、日本紅茶協会に尋ねてみた。ここの電話番号は、全日本コーヒー協会に教えていただいた。
 紅茶協会からいただいたファックスから要約すると、だいたい以下のようになる。こちらの方は、コーヒーの日に比べてまだ歴史的な意味があるようだ。

――海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、
大黒夜光太夫(1751〜1828)ほか2名は。ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。
 帰国の許可を得るまでの辛苦の生活の中で、ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。とりわけ、1791年の11月には、女帝エカテリーナ2世(1729〜1796)にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。そこから、大黒夜光太夫が日本人として初めて外国での正式の
茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた――

 ただし、大黒夜光太夫がエカテリーナ2世主催の茶会に招かれたのが、正確に11月1日だったかどうかわわからないそうだ。

ココアなら、睡眠の妨害にはならないかな?
 ココアは、カカオ豆を焙炒(ばいしよう)し,殻を除き,圧搾して脂肪分(カカオバター)を除いて粉末にしたもの。これをカカオバターを除かずに、砂糖や香味料を加えるとチョコレートになる。

◆19世紀には、オランダのバン・ホーテンがカカオ豆から脂肪分を減じ、水に溶けやすいココアの製法が発明している。

◆では、
インスタント・コ−ヒーを発明したのは誰か?
 それは、加藤某(なにがし)という日本人だった。コーヒー液を真空にした蒸発缶の中で噴霧乾燥させた粉末で、1901年「ソリュブル・コーヒー soluble coffee」の名でアメリカで発売された。
 日本人が発明しながらどうしてアメリカで最初に販売されたのか、不思議に思われるかもしれないが、こういうことだと思う。
 日本でコーヒーが飲まれるようになったのは明治以後のこと。もちろんはじめは、ごく一部の限られた人々しか飲んでいなかった。コーヒーを飲ませる店の第1号店は、1888年東京上野黒門町できた可否茶館(カツヒーさかん)。さらに、1911年には、東京銀座にカフェー・プランタンやカフェー・パウリスタといった店が登場し、コーヒーというものがすこしずつ一般的になってきた。
 インスタントコーヒーが発売された1901年当時の日本では、まだポピュラーな飲み物とはいえず、よその国での発売となったのだろう。

◆コ−ヒ−の銘柄にもなっているモカは、中東の国、イエメン共和国にある港町の名前。ブル−マウンテンは、カリブ海に美しく映えるジャマイカの山。

◆コーヒーは熱湯で入れるものだと、そういう固定概念を持っていませんか?
 実は、水をゆっくりと豆に落として順良のエキスを抽出する、「水だしコーヒー」というものがある。カフェインやタンニンは水に溶ける性質(水溶性)があるので、時間さえかければ水でも抽出することができるのだ。
 ただし、本当に時間がかかる。
 分量やコーヒーメーカーによっても違いはあるが、抽出にはだいたい3時間は必要だ。飲みたいときに飲めないというのが欠点だが、逆にゆっくりと時間を楽しむにはこちらの方がいいという方もいるかもしれない。
 この水だしコーヒーは、16世紀の後半、オランダの植民地であるジャワで飲まれていたことから、「ダッチ・コーヒー」と呼ばれている(「ダッチ」とは、「オランダの」という意味)。

◆コ−ヒ−に泡立てた生クリ−ムをたっぷり浮かせたものが、「ウィンナコーヒー」。
「ウィンナコーヒー」の「ウィンナ」と「ウィンナソーセージの「ウィンナ」は、実は同じで、両者ともVienna、つまり、オ−ストリアのウィーン。
 ついでに言うと、
ヨハン・シュトラウス父子が完成させた『ウィンナワルツ』もそう。

◆話が逸れるが、親子で名前が同じなんて、それでいいのだろうか?
 間違えやすいので、父のヨハン(1804〜1849)は「ワルツの父」、息子のヨハン(1825〜1899)は「ワルツの王」と呼ばれている。

◆「ワルツの父」には、「ワルツの王」のほかにも息子がいて、次男ヨーゼフ(1827〜1870)、三男のエドゥバルド(1835〜1916)も、作曲家で指揮者でもあった。さらに、エドゥバルドの子のヨハン3世(1866〜1939)、孫のエドゥバルド2世(1910〜1969)も指揮者だ。こういうのを音楽一家というのだ。

◆コ−ヒ−が何よりも好きという娘と、それをなおそうとする父のやりとりを曲に描いているのが、『コ−ヒ−・カンタ−タ』。作曲したのは、J.S.バッハ(1685〜1750)。

◆コ−ヒ−カップで、特に小型のものがデミタスカップ。逆に、特に大型のものは、遊園地に行けば見つかる。

◆遊園地にあるコ−ヒ−カップには、久しく乗っていない。あれは、自転しながら、公転もしている。カップ中央のハンドルを回せば、さらに勢いをつけて自転する。
 ハンドルを回しすぎて、遠心力でカップの外に放り出された高校生の話を聞いたことがある。カップから放り出された後、本人は何とか体制を立て直そうとするのだがなかなか立てない。かなり目が回っていたのだろう、公転しているカップにあちこちでぶつかっていたそうな。痛そうだな。


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