● 第百四十二段 ● 虎の子渡し
寅年も終わろうとしているとある土曜日、近くの遊園地に出かけた。ジェットコースターが目的だったわけではない。優待券をもらったというのがその1、そこにある動物園に行くというのがその2の理由だ。
動物園には、ゾウやサルもいたのだが、もうすぐ3歳になる息子・脩(なお)にはこっちの方がいいだろうと、動物たちとふれあうコーナーの方へ連れていった。200円と交換に、入場券とハクサイやニンジンなどの餌、フォークを受け取った。
「ネズミ!」
と叫び、彼は駆け寄っていった、ネズミではない。モルモットだ。しかし、あながち間違いとも言えない。
■ モルモット ■
別名テンジクネズミ。尾は外観上なく、ずんぐりとした姿が特徴。体長約25p前後、体重約450g。家畜種では、黒、白、黄褐色、赤褐色、クリーム色、チョコレート色などさまざま。ふつうは、5〜10頭の小さな群れでくらし、自分で掘った穴や他の動物が捨てた穴を巣とする。昼にも行動はするが、日没後にもっともよく活動し、利用できるあらゆる種類の植物を食べる。水もよく飲むが、新鮮な野菜を与えれば水は必要でない。飼育が容易なので、ペットや医学、生物学の実験用に広く使われ、実験動物の代名詞のようになっている。
20匹ほどいただろうか、かわいいもんだ。さっそく手の上にハクサイをのせて、彼らに差し出す。何匹も寄ってきて食べ始める。息子は怖いのか、ハクサイを直接あげることができず、ポイッと投げている。
「餌をあげるときには、必ずフォークを使ってください」
そんな放送が何度も流れている。モルモットなんて怖くない、餌をあげるのも簡単だ。それに、「モルモットの抱き方」まで掲示してあるし、危険はない……と思っていたら、
「いてっ!」
手の上のハクサイは既になかった。それでも手を出したままにしていたので、手のひらをかじられてしまったのだ。なるほど、フォークに野菜を刺して与えた方がよさそうだ。脩にもその方法を奨励したら、面白そうに何度も何度もやっていた。モルモットの方も際限なく食べる様子だった。こりゃ、家でモルモットを飼うときには、ハクサイとモルモットを一緒にしちゃだめだなと思った。
そこで、こんな問題を思い出した。せっかくだから、ちょっとアレンジして、モルモットとトラにも登場いただこう。
――旅人が、トラ、モルモット、ハクサイをつれて旅をしている。すると、川にぶつかった。残念ながら橋はなく、その代わりに小さな船が一艘あるだけだった。一度に渡ってしまいたいのはやまやまだが、船の大きさから考えると、旅人本人とあと一つしか乗せられそうにない。さて、どうやって渡ったものか。というのは、旅人がちょっと目を離すと、モルモットはハクサイを食べてしまうし、トラはモルモットを食べてしまう。困った困った――
この「ふれあい動物園」にいるのはモルモットだけではなかった。ウサギ、ヒツジ、ホルスタインまでいた。ウサギやヒツジならともかく、ホルスタインのあの大きな口に素手でハクサイをあげるのはかなり勇気がいることだ。「必ずフォークを使ってください」とは、そういうことだったのだ。納得した。
【メモ】
◆モルモットは少なくとも3000年ほど前のインカ時代から食用として家畜化されていたようだ。アンデス地方では貴重なタンパク質源であり、現在でも「パチャマンカ」と呼ばれるインカ伝来のモルモットの石焼き料理として残っている。
◆完全に家畜化されたのは比較的新しくて、ベネズエラ北西部からチリ中部の間、おそらくペルー付近で500年ほど前だろうといわれている。
◆モルモットは、16世紀ころ、オランダの探検家によりヨーロッパに移入されたといわれている。「モルモット」という名前は、オランダ人がヨーロッパ産のマーモット marmot と間違えてしまったことに由来すると考えられている。
◆さて、本文中の問題だが……、トラがモルモットを食べないように、モルモットがハクサイを食べないようにするには、以下の方法しかないだろう。何度も川を渡って大変だけど……。
(0) 旅人、トラ、モルモット、ハクサイ|_ |
(1) トラ、ハクサイ| _|旅人、モルモット
(2) 旅人、トラ、ハクサイ|_ |モルモット
(3) ハクサイ| _|旅人、モルモット、トラ
(4) 旅人、モルモット、ハクサイ|_ |トラ
(5) モルモット| _|旅人、トラ、ハクサイ
(6) 旅人、モルモット|_ |トラ、ハクサイ
(7) | _|旅人、トラ、モルモット、ハクサイ
◆トラが3匹の子を産むとその中の1匹は大変獰猛な彪(ひょう)となり、ほかの子を食べるといわれている。だから、川を渡るときには親は非常に苦心をする。まずは、彪の子をくわえて渡すのだが、あとをどうすればいいかは、考えてね。
この説話から「虎の子渡し」という言葉が生まれている。これは、このトラの親のように苦しい状況、転じて、苦しい暮らしをやりくりするたとえに使われる。
◆第百五段でも述べたが、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺、竜安寺の庭は「虎の子渡し」の庭として有名である。築地塀に囲まれた平地に、15個の石を、5,2,3,2,3個の5群に配置し、白砂を敷いただけの構成。この優れたデザインは、特別名勝・史跡に指定されて、世界的にも著名。
◆同じく、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の総本山、南禅寺の庭も「虎の子渡し」の庭と呼ばれている。しかし、どうして、これらの庭が「虎の子渡し」なのかよくわからない。
◆「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」――『十訓抄』にある言葉だ。
◆「虎の威(い)を借る狐」ということわざがある。
「おお、うまそうなキツネだ。ガオー、おまえを食べてやるぞ〜!」
「とらさん、とらさん。それはやめた方がいいですよ」
「ん、なぜだ?」
「僕は神様から百獣の王になるように命じられているのです。そんな僕を食べると大変なことになりますよ」
「おまえが百獣の王だって? 笑わせるな」
「では、その証拠を見せましょう。私の後ろについてきてください」
するとどうでしょう、森の動物たちは恐れをなして逃げて行くのです。
――ということだから、決して「虎の衣」を借りるのではない。虎の権威を借りるのだ。お間違えのないように。
しかし、こういう奴がけっこういるよな〜。
◆西洋のことわざでは、「ライオンの皮をかぶるロバ」。
◆魚ではないのに、魚偏に「虎」で「鯱」と書くのは、「シャチ」。
◆近藤勇が池田屋切り込みのときに持っていたといわれる名刀は、虎徹(こてつ)。
◆『三国志』には、「五虎(ごこ)将軍」と呼ばれる劉備軍団の5人の猛将が登場する。関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠の5人だ。
◆「猫目石(キャッツアイ)」とは、1つの種類を示す宝石名ではない。宝石の内部に平行状に密集配列する微小な管状組織や繊維状組織によって生ずる「変彩効果」に対する名称である。
それはさておき、「虎目石(タイガーズアイ)」という石がある。これは、石英中にソウセン(曹閃)石の繊維状組織が平行な層状に混入したもの。褐鉄鉱(水酸化鉄)の含有によって黄褐色を呈するので、この名前を持っている。産出量は多く、安価な宝石として、カフスボタンなど、おもに男性用装身具に使用されている。
◆接触変成作用をうけた変成岩は、「ホルンフェルス」と呼ばれる。ホルンフェルスには、しばしば特有な縞模様ができることがあり、そのため所によっては「虎石」と呼ばれている。
確か、山陰のどこかの海岸で、ホルンフェルスを見た。どこだったっけ?
◆虎のシア・カーン、熊のバルー、猿のルーイ王、黒豹のバキーラ、主人公のモーグリらが登場するキップリングの小説は、『ジャングル・ブック』。
◆トルコ西部のクルディスターン地方の山岳地帯に発してイラクに入り、クルナでユーフラテス川に合流しシャット・アルアラブ川となるまでの全長1900kmの川――このようにいわれると何だかわからないが、これは中学生にも有名なチグリス川。
チグリス→タイガー
似てるでしょう。ギリシャ語で「トラ」の意味だそうだ。
◆吉田首相が、時の韓国の大統領・李承晩を怒らせた言葉、
「朝鮮にはまだ虎がいますか?」
◆「虎が雨」は、陰暦5月28日に降るという雨。この日は、曾我兄弟の仇討ちで有名な曽我十郎が死に、それを悲しんだ愛人の遊女虎御前の涙が雨となって降ると言われている。
◆阪神タイガースのマスコット「トラッキー」の背番号は1985。もちろん、阪神が優勝した年を表している。
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