★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第二十四段 ●  卒業旅行に行こう!

 何人かが集まったときに、次のような問題を出す。数学の問題なのだが、最初からそう言うと敬遠されるので、そこのところはうまく切り出す。最後まで聞いてもらえたなら、必ずのってくる。ワナにはまってしまうという感じだ。
 有名な問題なので、知っている人も多かろう。しかし、この問題は、答えを言ってもなかなか分かってもらえない。どこまで上手に説明できるか。

 女子大生3人が、卒業旅行で温泉に行く計画を立てた。彼女らの名前を仮に、松子、竹子、梅子としておこう。3人はそれほどリッチというわけでもなく、税込みで1泊2食付きで1万円ジャストの宿を見つけた。これは、その温泉旅館での話だ。
「なかなかいい部屋じゃないの」
と、松子。
「1泊2食付きで1万円にしては、まあまあってところかしら」
と、竹子。
「料理も結構いけるらしいわよ。期待していいと思うわ」
 この旅館を見つけてきた梅子がいった。そこへ、仲居の山本が来た。
「ようこそおいでくださいました。宿帳のご記入をお願いします」
 お茶の準備をする彼女の手は、てきぱき動いていたが、その手の動きにすこしいらだちが見えた。3人の女子大生のほとばしる若さに嫉妬を感じていたのかもしれない。
「1泊1万円となっております」
「あっ、お金ね。竹子、頼むわ」
 松子と梅子は旅行に必要だと見積もった金額を、会計係の竹子に預けているのだ。こうしておけば、支払いの度にワリカンをする必要がないので、便利なのだ。
「3人だから、3万円ね」
「ありがとう、ございます」
「あ、領収書をくださいね」
「はい、のちほど持って参ります」
 山本が領収書を書いているところへ、この旅館の番頭である村田がやってきた。
「最近は、卒業旅行が大流行だね。どうだい、竹の間の3人さんはかわいい子たちだったかい」
「ええ、まあ」
 山本はいつものように、適当に返事をした。
「そうかい。それなら、すこし宿泊料をサービスしてあげようかね。3万円頂くところを25000円ってことしよう。手数だけど、5000円をあの娘たちに返してきておくれ」
「はい、わかりました」
 とは言ったものの、山本はすこし憤慨していた。どんなに忙しいときでも、どれだけ残業しても、ねぎらいの言葉すらかけもしない番頭が、女子大生というだけで甘くなるというのが許せなかったのだ。既に領収書も書いてしまっていたし、面倒だという気持ちもあった。
「そうだ、このお金、私がもらっちゃえ!」
 山本は、5000円の中から、2000円を抜き取り自分のものとした。全額を自分のものとしなかったのは、良心の呵責もあったし、
「あの3人に、5000円返したら、分けるのに苦労しそうだから、3000円返すってことにしましょう」
 という自分の勝手な思い込みもあった。山本は先の領収書を破り捨て、書き直した。こういうときは、面倒ではないらしい。
「領収書をお持ちしました」
「あれ、額面が違うわ」
「はい、当旅館の番頭が申しますには、本日は皆様に限り、宿泊料を1割引にするとのことです。3000円をお返しいたします」
「へぇ〜、超ラッキー。番頭さんて言い方ね。あとでお礼をいわなきゃね」

 ここで問題。結局、3人の女子大生が宿泊料として払った金額は27000円。30000円払って、3000円戻って来たのだから、そういうことになる。仲居の山本がネコババしたのは、2000円。

   27000+2000=29000

1000円足りない。どこへいったのか。探してほしい。


【メモ】

◆本文中に梅子さんが登場したが、女子大を自分でつくちゃった梅子さんもいる。現在の津田塾大の創設者、
津田梅子だ。
■ 津田梅子 ■
1864〜1929、女子教育の開拓者。1871年、8歳のときに、開拓使海外留学生として、アメリカに留学。82年に帰国後、華族女学校の教授補として英語を教える。再度の渡米ののち、1910年東京の麹町に女子英学塾(現在の津田塾大)を創設し、中等学校の英語教師の養成をする。また、英語の教科書や英文学書などの出版も行った。

◆私立はさておき、日本に国立の
女子大はいくつあるのだろうか? 実は、2校しかない。お茶の水女子大学と奈良女子大学だ。今のところ3番目の国立の女子大を作ろうという話はない。

◆高等学校を卒業するには、高等学校学習指導要領の定めるところにより、80単位以上を修得しなければならない。大学の場合は、4年以上在学し124単位以上を修得することとなっている。で、首尾良く大学を卒業できれば、「学士」という称号がもらえる。短期大学なら「準学士」、大学院までを卒業すると「修士」。

◆5000円札の肖像にもなっていた
新渡戸稲造は、東京女子大学の初代学長さんだった。
 肖像にデビューしたのは、1984年(昭和59)のこと。このときは、千円紙幣、一万円紙幣のデザインも一斉に変わったので、すこし衝撃的だった。おかげで名前だけは有名になったが、何をした人なのかはあまり知られていない。
■ 新渡戸稲造 ■
1862〜1933、農業経済学者,教育家。南部藩出身で、札幌農学校に学ぶ。1884年東大を中退したあとは、アメリカ、ドイツの諸大学で農業経済学や統計学を修めた。1903年に京都帝大教授、1906年に旧制第一高等学校校長、1918年には初代の東京女子大学学長を歴任している。また、国際連盟事務局次長(1920〜26年)、太平洋問題調査会理事長などの役職も務め、クエーカー教徒として国際平和に尽くし、「太平洋の橋」になろうとした。

◆五千円札の裏に描かれている富士山は、山梨県の本栖湖から眺めたもの。湖水に写っている逆さ富士は、晩秋から初冬の午前中に見ることができるそうだ。

◆松山千春、沢田聖子、渡辺美里、斉藤由貴、菊池桃子、尾崎豊。みんな、『
卒業』という曲を歌っている。SPEEDは、『my graduation』を歌っている。

◆ついでに、ちょっと深すぎるが、倉田まり子は、『Graduation』という歌を歌っていた。やっぱり知らない?

◆高校のときの卒業式だったか、こんな話を聞いた。
「英語で『卒業』はgraduationがよく知られているが、commencementという言葉もある。この言葉には、『卒業』という意味と同時に『始まり』という意味もある。つまり、卒業は『これで終わり』ではないのだ、ここからスタートなのだ!」
 かっこいいじゃないのと思った。

◆卒業式や年末によく歌われる『
蛍の光』は、日本の曲ではない。スコットランドの民謡で、原題は、『Auld Lang Syne(久しき昔)』。日本では、1881年の「小学校唱歌集初編」に『蛍』のタイトルで取り上げられ、これがのち『蛍の光』として広まった。日本語の歌詞をつけたのは誰なのか、よくわかっていない。

◆ダスティン・ホフマン主演の『卒業』で、舞台として使われたのはUCB。カリフォルニア大学のバークレー校だ。

◆アメリカ映画などを見ていると、高校生が卒業記念に開く盛大なパーティーの場面がよく登場するが、あれを「
プロム」という。日本にはない習慣だ。

◆さて、答えだ。登場する立場は3つ。女子大生、仲居、旅館。それぞれの立場になって、しっかりと考えてみよう。
 彼らの行動を、「もらった」という視点で考えてみるとわかりやすかもしれない。
  女子大生が「もらった金額」…… 3000円
  仲居が「もらった金額」………… 2000円
  旅館が「もらった金額」………… 25000円
 合計は30000円になる。間違いはない。
「あれ、27000円ってなんだったっけ?」
 という声が聞こえてきそうだが、それは女子大生が「払った金額」。その金額と仲居が「もらった金額」2000円を足し算するところに問題があったのだ。足すことに意味がないのだ。

◆う〜ん、こう言えばどうかな。女子大生が払った27000円は、25000円が旅館へ、2000円が仲居へ流れている。その27000円と2000円を足してみても、意味がないでしょう。

◆数学に強い友人の杉野君から、似たような話が、内田百けん(「けん」という漢字は、「門」の中に「月」)の『阿呆列車』の中にあったと教えてもらった。
■ 
内田百けん ■
1889〜1971、小説家、随筆家。別号、百鬼園。1911年、夏目漱石の門下となり、著作の校正などを手伝う。漱石の死後は彼の全編編纂に加わわっている。『冥途』『旅順入城式』『百鬼園随筆』『阿呆列車』などで、独自の随筆のジャンルを切り開いた。鋭い観察眼ととぼけた味わいのある筆致の絶妙なバランスに、近代日本の文学に例がなく、再評価の気運が高まっている。


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